そもそも「タンドラ」は「原価企画の段階から赤字だった」と言われている。100%近い部品が専用で開発された。ここでも「お家芸」だった他車種で使った部品を転用し、開発コストを極力抑える発想が消え失せていた。当時の社内には「原価が高いのなら値上げすればいい」といった傲慢な意見もあった。完全な驕りである。
トヨタで驕りが生まれた背景には、「グローバル・プロフィット・マネジメント(GPM)」という指標の導入が大きな原因と見られている。機関投資家向けに説明した利益目標を達成するために地域ごとに利益目標が課せられるようになった。それまでのトヨタでは現場からの積み上げ方式で利益をはじき出してきたのに、本社が机上で決めた数値で「はい、これをやってください」といった手法に切り替わったのだ。
「GPM」によって利益計画がぴったりと決まっているため、経営環境が変わって新しい目標や課題が生まれても、トヨタはその対応に柔軟に取り組めない硬直的な組織になっていったのである。
こうした危機的局面の中の09年1月、トヨタは豊田章男氏の社長昇格を発表した。記者会見で豊田副社長は「あえて言うなら現場に一番近い社長でいたいと思っています」などと抱負を語った。ところが社長就任後、追い討ちをかけるかのように、09年秋には米国でのリコール問題、11年3月の東日本大震災、同年9月のタイ大洪水といった具合にアクシデントが立て続けに発生してトヨタの業績は一向に回復しなかった。
しかし、豊田氏はめげずに環境の変化に素早く対応し、小回りが利くものづくり体制の構築を進めた。同時に社内外に「良品廉価」という考えを喧伝し、下請け企業や販売店も含めてオールトヨタでいい車を造っていくことだけに注力する組織風土づくりを目指した。時に豊田氏はこうした取り組みを総称して「もっと笑顔で仕事をしましょう」とも呼びかけた。