その理由は、円安による輸出車の利益率上昇もさることながら、トヨタの「お家芸」である原価改善努力をこつこつと積み上げたことや、生産が増えなくても利益を出せる体質を構築してきたことが大きい。こうした特徴は、トヨタ的経営が本来持つ強みであり、トヨタのDNAと言っても過言ではない。それが2000年代に入って北米を中心に膨張、兵站が伸び切ってしまった中で、トヨタのDNAが忘れ去られている面がある。今回の好決算は、いわば「先祖返り」してトヨタ流の経営に忠実に取り組んだ成果とも言えよう。DNA復活でもある。

その地道な取り組みとはどのようなものかを紹介する前に、リーマンショック後に襲いかかったトヨタの艱難辛苦の道のりを振り返る。なぜなら、リーマンショック前の膨張経営を反省した上に今の取り組みがあるからである。

「トヨタショック」が始まったと言われたのがちょうど5年前の08年11月6日だった。この日トヨタは09年3月期決算の通期業績見通しの下方修正を発表。海外の子会社などの利益を含まない単独決算で輸出の不振などから本業の儲けを示す営業損益が下半期に赤字に転落するデータを開示した。トヨタが戦後初の営業赤字に陥ることになったため、そのニュースは新聞紙上をにぎわした。ただし、その時点で連結決算では通期で6000億円の営業黒字を確保する見込みだった。

ところが、それから2カ月もたたない12月22日、渡辺捷昭社長(当時)が記者会見、通期でも1500億円の営業赤字になる見通しを発表。わずかの間に7500億円もの利益が吹っ飛んだ。販売台数も5月の期初予想の906万台から12月22日時点では754万台にまで落とした。一気に152万台減少したことになる。一般的に一つの自動車工場で年間に約30万台造ることから考えると、工場5カ所分の販売量が消えたことになる。特に「レクサス」や大型ピックアップトラック「タンドラ」など高価格帯の車が売れていたドル箱の北米市場が急速に縮小したことが収益悪化に拍車をかけた。