想定外の買い手は会計士・税理士
こうして完成した漆電卓は2026年4月に国内発売。自信はあった。ただ、完全に勝算があったわけではない。佐藤事業部長は「急速に売れるとは想定しておらず、少しずつ在庫がなくなっていけばいい、という考えだった」と振り返る。
社内でも半ば期待、半ば静観の空気だった。ところが予想を覆し、右肩上がりどころか「ガーンと垂直で売れた」。国内販売分はわずか約1カ月半で完売した。
購入者の顔ぶれも、当初の想定とは異なっていた。
価格が価格なだけに企画段階で想定の中心に据えていたのは、経営者層や海外から日本を訪れる富裕層など。ところが実際に多かったのは、日頃から電卓を使い込んでくれている会計士や税理士だったという。
とはいえ業務用としてヘビーユーズするというよりも、机に置いて眺めたり、自宅でちょっとした計算をするときに使ったりと、単なる計算機ではなく、「持つ歓び」を感じられる一台として選んだ購入者が多かったという。
「これまで電卓は、趣味で何台も集めるような商品ではなかったのかもしれません。それでも今回は、電卓そのものに強い関心を持つ方が買ってくださった。最も大きかったのは、やはり所有する歓びだったと思います」
カシオの腕時計から流れてきた客もいた。高価格帯のG-SHOCKを購入していた人が、漆電卓も手に取ったケースもあったという。海外客からは贈答用に買いたいとの声も届いた。
完売しても追加生産しない理由
完売後、社内外からは追加生産を求める声も上がった。それでもカシオは、再販売しない方針を決めた。
このモデルの漆塗りを担える職人は、実質的に梅田さん1人。品質を維持しながら仕上げられる数量としてはこれが限界だったからだ。
“うれしい誤算”もあった。漆モデルが完売したのち、ベースとなったプレミアム電卓「S100X」の販売も伸び始めたのだ。
「漆モデルは650台しかありません。でも、『S100Xって、こんな電卓だったんだ』と知ってくださる方が増えた。その結果、S100Xも前年の約3倍売れました」
漆電卓は、限定品として成功しただけではなかった。プレミアム電卓というカテゴリーそのものに多くの人の目を向けさせ、社内の空気にも変化をもたらした。
「一般電卓事業への注目度は増したと、肌で感じています。電卓はカシオの創業の原点ですが、そのことを社内でも改めて思い出してもらえたのではないでしょうか」
スマホに代替されない価値
今回の漆電卓への反響を受け、同じような10万円前後の商品を次々に出すとは決めていないという。価格も仕様も振り切った商品がいいのか、既存品に手の届きやすい価格で新たな付加価値を加える方がいいのか。複数の挑戦を重ね、反応を見ながら取捨選択していくという。
「電卓は非常にコモディティー化(一般化)した商品です。でも、結構やることはあるよね、と思っています。まだ新しい驚きや、使う歓びを提供できるチャンスはあるはずです」
進化の方向は2つある。
1つは、キーの押し心地や液晶の視認性、机上での安定性など、道具としての使いやすさをさらに極めること。もう1つは、色や艶、素材を工夫し、所有する喜びを広げることだ。
漆電卓は、記念的な限定商品であると同時に、その2つ目の可能性を見極める試金石となった。
スマートフォンがあれば、計算はできる。それでも、計算という行為がなくならない限り、専用機が果たす役割も消えない。佐藤事業部長は今回の挑戦をそう位置づける。
「電卓の価値をもう一度思い出していただくことが、このプロジェクトの目的でした。成熟した市場だから、もう何もできないわけではない。むしろ、まだ気づかれていない価値をどう掘り起こし市場に出すか。そこに、ものづくりの余地があると考えています」
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