もし四条天皇がスベって転ばなければ……

すると後醍醐は院政を停止して親政を始め、やがて倒幕の決意をかためて挙兵する。

河合敦『日本史人物 死ぬほど痛いかすり傷』(三笠書房)
河合敦『日本史人物 死ぬほど痛いかすり傷』(三笠書房)

その後、楠木正成くすのきまさしげ足利尊氏あしかがたかうじ新田義貞にったよしさだらの協力を得て元弘げんこう3年(1333)、150年間続いてきた鎌倉幕府を倒し、京都に新政権(建武けんむ政府)を樹立したのである。

だが、後醍醐の独裁によって公武の不満が高まり、足利尊氏が反乱を起こし、2年ちょっとで呆気なく政権は瓦解がかい。尊氏に一旦は降伏した後醍醐だったが、隙を見て京都から脱出し、大和国吉野やまとのくにのよしの(奈良県吉野郡吉野町)の地に新たな政権を樹立した。

尊氏もこれに対抗するため、持明院統の血筋を継ぐ人物を即位させた。それが光明こうみょう天皇である。光明天皇のもとで尊氏は京都に幕府を開設した。

こうして吉野の南朝と京都の北朝(幕府の傀儡かいらい)が並立する状況が生まれ、その後、動乱が60年以上も続くことになる。もし四条天皇が、うっかりスベって転ばなければ皇統は分裂せず、南北朝の動乱は起こらなかったかもしれない。

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