不況と共に崩壊した“3つのシステム”
ところが1990年代半ば以降、状況が一変する。これらのシステムが機能不全に陥り、それとともに「日本型福祉社会」は崩壊していく。
まず企業福祉が収縮していった。バブル経済が崩壊し、不況が長期化するなかで、企業は日本型雇用慣行を全面的に維持することができなくなる。1995年5月に発表された日経連(日本経営者団体連盟)の報告書「新時代の「日本的経営」」などを契機に、雇用の柔軟化が進められ、非正規雇用が増大した結果、生活保障を与えられる正社員の割合は大きく低下した。
一方で開発主義も収縮していく。五五年体制が終焉し、1996年10月の衆議院総選挙から小選挙区比例代表並立制が導入されると、利益誘導型政治のインセンティブが薄れ、地方部への再分配が縮小していく。さらにその後、2001年4月に発足した小泉純一郎政権のもとで進められた構造改革路線により、公共事業の大幅な削減が行われた。
そうして都市部でも地方部でも「男性稼ぎ主」の雇用が十分に守られなくなると、女性は専業主婦でいることができなくなり、劣悪な条件で働かざるをえなくなる。あるいはそもそも男女が家庭を持つことや、子どもをもうけること自体が困難になる。その結果、家族福祉もまた収縮していった。
こうして3つのシステムが揃って収縮することになったが、それらは元来、明確な制度として定められたものではなく、曖昧な慣行として成り立っていたものにすぎなかったため、その収縮のスピードは急速だった。そのためそれに伴う「日本型福祉社会」の崩壊のスピードもまた急速だった。
「真ん中」→「曖昧な弱者」とならざるをえない
そうしたなかで福祉国家としての対応がなされたのは、家族福祉の領域だけだった。2000年度からのいわゆる新エンゼルプランに基づき、2003年7月には次世代育成支援対策推進法、少子化社会対策基本法が成立する。また、2000年4月には介護保険制度がスタートした。こうして家族福祉のシステムは公的な制度に置き換えられていった。
しかし一方で企業福祉や開発主義にカバーされていた領域は、空白となったまま放り置かれることになる。そこで守られるはずだった人たちは、セーフティネットを失っていわば流民化し、不安定な立場に追いやられた。とくに非正規雇用労働者や中小企業の社員、自営業者やフリーランサーなどが、広い意味での不安定就労者となるに至る。
とはいえ彼らは失業者でもなければ高齢者でもなく、ましてや生活保護受給者でもない。つまり「弱者リスト」の公認メンバーではないので、「明白な弱者」のための救済策にすがるわけにはいかない。企業福祉や開発主義という曖昧な慣行に守られ、それまでは何となく「真ん中」にいることができた彼らは、その庇護が失われるや、「曖昧な弱者」とならざるをえなかった。



