「自分なんて生まれてこなければよかった」
母親は朝早くに警備の仕事に行くため、水沢さんは朝食を食べる習慣ができなかった。母親はいつも忙しそうだったため、水沢さんは学校であったことや悩みを誰にも話せなかった。
父親は働かないにもかかわらず、友人知人から借金しては飲み代やタバコ代に充てていた。水沢さんの小学校の体操服を買うためのお金も飲み代に平気で使った。
「父は母に、『金がないなら母親(祖母)から借りてこい!』とよく怒鳴っていました。私のことを『ブタ』と呼んだり、日々のことに干渉したり、機嫌が悪いとすぐに怒鳴りました。夜ごはんのお味噌汁をこぼしてしまった時、ものすごく怒鳴られたことを覚えています。私は食べるのが遅かったので、『もう飯を食うな!』と言って残っていたご飯を捨てられたこともありました」
一方母親は、水沢さんに父親の愚痴を聞かせ、泣きながら弱音を吐いた。
「母は、『こんなに頑張っているのに、なんでこんなにしんどい思いをしなければならないの?』と泣きました。小3くらいからだんだん状況がわかり始めて、一緒に泣いたり、『働けるようになったら私が助けるから』と慰めたりしました」
小学校高学年になると、ときどき酔っ払って帰宅する母親を、水沢さんは介抱し、宥め、寝かせた。
そして水沢さんが中学生になったある日、話の流れで母親から「あんたができたからお父さんと籍を入れた」と聞かされた。それを聞いてから水沢さんは、自分を責め始めた。
「自分なんて生まれてこなければよかったんだ」
「私さえいなかったら母はこんなに苦労していない」
気づけばリストカットを繰り返すようになっていた。
やっと地獄が終わった
水沢さんが中2の時、ついに母親は子どもたちを連れて家を出て、祖母の家へ身を寄せる。そして離婚。父親が出て行き、母親が自宅に戻った。
「母は、『なかなか離婚に踏み切れなかったのは、普通の家庭として子どもを育てていきたかったから』と言っていました。でも私は、毎日目の前で喧嘩されて怒鳴り声を聞かされるよりは、早く離婚してほしかったです」
父親は51歳で亡くなった。肝硬変だった。
「母は父が生きている間ずっと『早く死んでしまえばいい』と言っていたのに、亡くなったと聞かされた時は『あなたたちと出会えたのは彼がいたからだった。それだけは感謝している』と言っていて、違和感を持ちました」
弟は号泣していたが、水沢さんの思いは「やっと地獄が終わった」だった。
「これでもう母が怒鳴られることも、怒鳴り声を聞かされることも完全になくなった。悲しいも嬉しいも、どの感情も当てはまらないような不思議な感覚でした」
高校入学後から水沢さんはすぐにアルバイトを始め、家に約3万円入れていた。高卒後は時給がよいパチンコ店に勤務。ひたすら働き、月7万〜8万円母親に渡した。25歳頃「手に職を付けたほうがいい」と考え、ウェブクリエイターの資格を取得。ウェブデザイナーの仕事に就いたが、時給が安く、それだけでは警備員として働く母親との生活を維持できないため、夜はバーで働きはじめた。

