長期戦に「勝てる」とは言っていないが…

山本が艦隊に去ったあと、翌1940年9月、海軍を取り巻く環境は大きく変わる。及川古志郎海相は、同盟反対を貫けば近衛内閣を潰した責任を海軍が負うことになると説き、伏見宮軍令部総長の「ここまで来たら仕方がないね」という一言もあって、海軍は三国同盟の容認へ傾く。

開戦の見通しを問われたときの答えも有名だ。1940年、近衛文麿首相に日米戦争の見込みを問われた山本は、こう答えている。

「それは是非やれと言われれば初め半年や1年の間は随分暴れてご覧に入れる。然しながら、2年3年となれば全く確信は持てぬ」