栃木中の芸者を総揚げ!

栃木工場の建設時に採用され、操業当初からの古きよき時代を知る営業ウーマン、芳賀栄子は、まるで昨日の出来事のように話す。

<strong>栃木支社営業 芳賀栄子氏</strong>

栃木支社営業 芳賀栄子氏

「工場のお披露目のときは、宇都宮から鬼怒川から、それこそ栃木中の芸者さんを総揚げしました。工場見学の後、ホールでお酒を注いだり。朝、着物を着たお姐さんたちが、バスでばーっと来て、1部屋使ってお化粧をしてもらってというのが1週間続きました」

いまだに工場がなくなったことを思うと、涙が止まらくなる。

「おとといも、担当エリアである高根沢町の辺りの飲料店を訪ねました。もう工場が跡形もなくなっている。それで、一軒一軒泣きながら回ったんです。泣き虫なので会社に戻ってきても泣いていたら、上司が『おまえ、会社で泣くな。泣くんだったら外で泣け。ビールが売れる』って。いまはそんな営業しています。それでビールが少し余計に売れたかもしれませんね」

工場閉鎖に、地震の被害、さらには那須や日光といった観光地への風評被害と、栃木に対する逆風は、下手をすると立ち上がれなくなるほどひどいものに思える。

(左)<strong>スーパー「オータニ」バイヤー 坂本晴美氏</strong>、(右)<strong>栃木支社流通部主任 丹羽孝輔氏</strong>。

(左)スーパー「オータニ」バイヤー 坂本晴美氏、(右)栃木支社流通部主任 丹羽孝輔氏。

ところが、営業マンたちは負けていない。キリンのインストアシェアがトップという栃木ナンバーワンのスーパー「オータニ」の女性バイヤー坂本晴美は、取引先にも厳しいことで知られている。そんな彼女を攻略したのが、栃木支社流通部主任の丹羽孝輔だ。

「飲食店系の情報も逐一入れてくれますし、震災後の『お家飲み』の流れも、スーパーとしてどう発信していくかについても的確な情報を入れてくれます」

と坂本は丹羽を評する。

「ビールとは少し離れますが、宇都宮はカクテルの街なので、ジンやウオツカに敏感な人が多いんです。じゃあ夏にさわやかに飲めるカクテルの提案をしましょう、という相談をしています」

すぐさま丹羽から言葉が返される。

オータニに限らず、栃木県内ではキリンビールが“変わらずに”強い、という。工場がなくなっても、キリンを応援してくれる人がたくさんいるのだ。

ライバルは「キリンさんは栃木を見捨てましたよ」という形で、切り崩しをかけてきた。熾烈なシェア争いを長年繰り広げてきた業界であるから、弱みに付け込むことは、お互い様という光景だ。

だが、工場がなくなることで取引が他社へ切り替わるというケースはほとんどなかった。

取材当日、栃木県内の取引先を中心とするサポーター組織である「栃木キリン会」の発足総会が開かれた。工場はなくなったとしてもキリン製品を愛し続けることを誓う親睦団体だ。懇親会には松沢も東京から駆けつけた。

「キリンビールは何で事業が成り立っているのか? 1缶、1杯、お客様が飲んでくださる、買ってくださるの積み重ねではないか」

社長として、そんな思いを社員に伝える対話集会を全国の支社、工場で続けている。総会の後、夜遅くまで芳賀をはじめとする栃木支社のメンバーと、バーで談笑する松沢の姿があった。

(文中敬称略)

※すべて雑誌掲載当時

(小倉和徳、岡本 凛=撮影)