ごめんね、ごめんね

ピンチのときほど、ふだんからの備えがものをいう。キリンビールの松沢幸一社長の話には、「いざ」という事態に動じないある種の余裕が感じられた。

<strong>キリンビール社長 松沢幸一氏</strong>。自家発電の導入や、全国に散らばった工場の連携により、生産体制への影響が「限定的な影響」に収まったという。

キリンビール社長 松沢幸一氏。自家発電の導入や、全国に散らばった工場の連携により、生産体制への影響が「限定的な影響」に収まったという。

「1923年の関東大震災のとき、創業の地である横浜の山手にあった工場が全壊しました。そこが生産再開するまでを支えたのが、仙台工場なんです。仙台はいま止まってるけど、残りの8工場で一丸となって、会社を挙げて復旧に向けて全力を尽くそう。88年前にたすきを繋いでもらったことを忘れるなとね」

松沢は、歴史を引き合いに出しながら、東北の拠点としての、仙台の重要性を強調する。

宮城野区の港にある仙台工場は津波によって大きなダメージを受けた。いまだ電力復旧も果たされず、再稼働は9月まで延びる見込みだ。

震災当日は横浜工場にいたという松沢はかつての教訓があるからこそ、この夏の節電協力にも対応ができると胸を張る。

「03年にも福島と新潟の原発が止まって電力不足に陥ったんです。そのときに製造を土日にシフトしたり、省エネやCO2削減という目的でしたが、燃料転換や自家発電といった投資をしてきました。結果として事業のなかに備えとして埋め込んでいったのです」

生産統轄部長として、当時の荒蒔康一郎社長と掛け合ったエピソードを披露しつつ、よどみなく説明をしてくれた。

2010年販売量銘柄別徹底比較!

2010年販売量銘柄別徹底比較!

ビール各社が工場の被災や、計画停電により生産体制が整わないときに、キリンが、4月中旬に一番早く回復したのは、長年ビール業界のトップとして君臨してきた“圧倒的な基礎体力”ゆえだろう。

そのガリバー時代の31年前につくられた栃木工場は、2010年10月に閉鎖された。地元出身の人気お笑い芸人「U字工事」をキャラクターに採用するなど、地域密着で営業活動を続けてきた営業マンにとっては「僕らもニュースで知りました」というほど寝耳に水の事態だった。

「おらが街のビール」として、栃木の人々に愛されてきたビールがつくれなくなる。地元産ビールという武器を失った最前線の兵士たちは、どんな武器に持ち替えたのか?

栃木支社のメンバーは連日、会議を開いて今後の営業戦略を練った。結論は(U字工事の漫才のネタである)「ごめんね、ごめんねー」を連呼する……ことでは決してなく、変わらず地元を応援することだった。

「栃木のみなさまの暮らしに寄りそうキリングループです」というポスターを制作した。そこには小岩井乳業の那須工場や、キリンビバレッジ、メルシャンなど、県内7カ所の営業拠点が地図とともに記載されている。