被災、消費不況、工場撤退、自粛ムード、計画停電、生産調整などビール会社に襲い掛かる大ピンチ。ある営業は、上司にこう厳命された。「おまえ、会社で泣くな。外で泣け。そのほうがビールが売れる」と。2011年のビールウォーズは、涙、涙、涙のナニワ節が流れた!

14時46分、すべてが変わった

2010年、ビール会社の業績は、アサヒビール、サントリーが過去最高の純利益、サッポロビールが増収増益と、キリンビールを除く3社が好決算。それを受けて順調にスタートしていた11年だったが、大震災を境に状況は暗転してしまう。

キリン、サッポロの仙台工場と、アサヒの福島工場は大きな被害を受け、いまだに操業を再開できない工場もある。ふだん当たり前に存在する「ビール1缶」すら満足に製造できない事態のなかで、最前線の営業マンたちは、どのように行動したのだろうか?

「地震が発生した14時46分は青葉区のオフィスにいました。4分ほどひどく揺れた後、停電になり近くの小学校に避難しました。その日は夕方に自宅に戻り、家族の安否を確認するだけで精一杯でした」

サッポロビール東北本部流通営業部・副部長、稲田泰之は当時を振り返る。

しかし、翌土曜日からの行動は素早かった。担当する大手酒販店「やまや」の仙台市若林区にある店舗の状況を知りたかったからだ。

「停電でテレビからの情報が遮断されていました。どうにかラジオで得た、若林区が津波で大きな被害に遭ったという断片的な情報しかありませんでした。通常クルマで10分の道を自転車で30分ほどかけて、やまやさんの沖野店に向かったのですが……」

店舗の様子を見ると、天井はすべて落ちていて、棚が倒れている。床はワインと焼酎、日本酒、もちろんビールも含めて酒の海になっていた。だが、目を見張ったのはそのことではなかった。

「店を開けていらしたんです。もちろん店舗内はぐちゃぐちゃですから、入り口の外での営業です。商品として売りに出せるものはすべて、お客様に提供されていました」

いくら大切な取引先でも、未曾有の出来事の直後である。危険を冒してまで駆けつけた理由は?

「いや、ただ心配だったんです。実際にどうなっているかを、自分の目で確かめたかった。やまやさんがどのように対応されるのか、という情報も必要でした。ちょうど沖野店の2階が緊急地震対策本部になっていましたから。そこで常務や総務部長とお目にかかり、情報収集をしながら、手伝えることは、手伝おうと。自分はそれしかできませんから」

震災翌日の土曜日に顔を見せた営業マンは稲田だけだったという。

「やまや」は現在では全国に262店舗を展開する一部上場企業だが、創業の地は宮城県塩釜市であり、本社は仙台市宮城野区にある。東北地方にもたくさんの店舗を構えており、今回の震災では10億円あまりの特別損失を計上した。