嗚呼、ため息 売るものがない
やまや商品部商品二課のマネージャーである千葉保徳はいう。
「震災直後はビールはもちろん、まず商品がなくなりました。ガソリン不足もあって店頭に商品が並べられない状態が数週間続きました。幸い当社は自社物流網を持ち、関西の関連会社からの支援も得られましたから、他の小売業さんよりは立ち直りが早かったと思います」
他の小売店の営業再開が遅れるなか、復旧の先駆けとして認知されていた。これには、06年の中越地震で被災した店舗の教訓を元に、社を挙げて地震に強い什器づくりなどを推進してきたことが大いに役立っているのだという。
「やまやに行けば開いているし、商品がある。そこをお客様にあてにされている部分は大きかった。復旧した店舗はおかげさまで非常に売り上げが伸びています」
震災で大きな被害を受けたやまやだが、5月末の3月期決算では営業利益が前期比55%増であることが発表された。大幅減益の予想を覆す「ポジティブ・サプライズ」に市場も敏感に反応し、株価はストップ高となった。東北の復旧に対する貢献度は大きい。
しかし、稲田にとっては苦しい日々だった。売りたくても商品がない。名取市の仙台工場は被災し稼働していない。液状化現象が起きた船橋市の千葉工場も同様。サッポロビールの東日本向けの商品を一手に引き受ける工場が2ヵ月近くも稼働しなかったのだ。
彼はゴールデンウイークまで、スーツに袖を通すこともなく、ポロシャツや作業着にスニーカーという恰好で、やまやの新店舗準備や復旧作業を手伝うしかなかった。
本来の力が発揮できないという「陸に上がったカッパ」のような状態だった稲田だが、その努力が報われる日がやってきた。仙台工場が5月2日に操業を再開したことを受けて、工場近くのやまや名取店が「復興祝い」の売り場をつくろうという申し出をしてくれたのだ。