光秀を仰天させた誤算

『太閤記』の軍勢の数字は、そのまま鵜のみにできない。歴史学者の高柳光寿氏は、明智は羽柴の3分の1程度だったと見ており、それを『太閤記』に当てはめると明智1万、羽柴3万というのが、実態に近い数字ではなかったかと考えられる。

光秀は当初、秀吉本隊の大返しを想定していなかったようで、池田・高山・中川ら摂津衆との戦いを見込んでいたフシがあった(『歴史道Vol.13』朝日新聞出版「山崎の戦いを克明に追う!」和田裕弘氏)。ところが秀吉が備中高松から戻ってきたことを知り、「案のほかなることかな、と存じ、仰天」した(想定していなかったので驚いた/『太田牛一旧記』)。

自軍より遥かに多い敵勢を前にしても、光秀は強気だった。先陣を務める摂津衆に先制攻撃を仕掛け、戦いを有利に動かそうと意気込んでいたのかもしれない。