柴田勝家より秀吉と仲良し?
2013年に公開された映画『清須会議』(三谷幸喜脚本・監督)では、柴田勝家と丹羽長秀は常時語らう仲であり、秀吉と対立する構図が描かれていた。
しかし、経歴を見る限り、長秀は柴田・佐久間より秀吉に近く、秀吉より柴田と仲が良かったとも思えない。しかも、長秀の三男・仙丸(のちの藤堂高吉)が羽柴小一郎の養子になっているのだ。本能寺の変後、羽柴秀吉が丹羽長秀の関心を買うため、実子がなかった弟の小一郎に、長秀の三男・仙丸を養子に迎えたのだという。しかし、豊臣政権が盤石になるにつれて、秀長の嗣子には豊臣一族から甥・豊臣秀保を養子に迎えることになり、邪魔になった仙丸は、秀長の家臣だった藤堂高虎に引き取られた。
妻は信長の姪で“養女”
長秀の正室は信長の養女で、信長の庶兄・織田三郎五郎信広の娘である。婚姻は永禄6(1563)年だという。
信長の養女と長秀の婚礼は織田家中にとって極めて異例な事態だった。系図によれば、
長秀の子も信長の養女と結婚
丹羽長秀は織田家の婚姻以外、妹が蜂屋頼隆に再縁したくらいで、有力部将クラスとの婚姻がない。織田家臣団の閨閥から浮いた存在である。これは長秀の出自がかなり低く、小領主クラスにも相手にされなかったからだと考えられる。
そこで、信長は養女との婚姻で長秀に箔を付け、部将として抜擢したのだろう。永禄8(1565)年頃の犬山城・東美濃攻略で長秀は華々しい手柄を上げる。織田家中では、長秀の抜擢を見て、低い出自でも才能如何でいくらでも出世のチャンスがあることを感じ取ったに違いない。

