賢治の思想の根幹には、「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」(『農民芸術概論綱要』)という考え方がありました。みんなが幸せになることが自分の幸せ。でも、その幸せに至るためには、いろいろな悲しみも含めて、あらゆる経験と感情を心の地層に積み重ねなければならない。よいことだけを求めるのが幸せではないと賢治は考えたのです。
いまの世の中は、ひたすら快適な状態だけを維持しようとする価値観が主流ですが、賢治の時代は違いました。東北は自然災害や凶作の多い厳しい土地で、数多くの悲しみが周囲にあふれていました。その中で本当の幸せを考え続けた賢治が辿り着いた、結晶のような言葉が『銀河鉄道の夜』の中にはたくさん詰まっています。
「僕はもうあのさそりのやうにほんたうにみんなの幸(さいわい)のためならば僕のからだなんか百ぺん灼(や)いてもかまはない」という言葉も有名です。こうした言葉には、自分よりもまわりの人々の幸福のために生きた宮沢賢治の本質がよく表れていると思います。
一方、「生徒諸君に寄せる」という詩の中には、賢治の宇宙観、視野の広さがよく表れていると思います。
「新らしい時代のコペルニクスよ/余りに重苦しい重力の法則から/この銀河系統を解き放て」「諸君はこの颯爽たる/諸君の未来圏から吹いて来る/透明な清潔な風を感じないのか」と語りかける彼の視線は、宇宙レベルの広い空間、未来へとつながる長い時間軸につながっています。『農民芸術概論綱要』にも「正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである」という言葉があります。賢治は土地に根ざす一方で、大きな宇宙観を持ち、視野を広げていったその先端から自分たちを見つめ返すという発想を持っていました。
近年ようやく私たちは地球規模の環境問題を考えるようになり、原子力発電についても重大な選択を迫られています。こうした問題を考えるとき、「未来圏」という視点がきわめて重要になります。私たちの次の世代、その次の世代まで悪影響を残すことをやっていいのか? 自分の身の回りだけを見ていたらわからないことも、宇宙、あるいは未来の視点から見ることで、あるべき姿が見えてきます。
私は常々、一般の人も宇宙的な視野をもって勉強し視野を広げるべきだと思っています。いま宇宙研究の最先端では、ビッグバンの謎が解き明かされつつあり、あるいは人類の進化史についても、DNAの分析を通して何十万年というスパンでの進化が明らかになってきました。科学者でもあった賢治がもし生きていたら、ものすごく興奮することでしょう。