「答えが一つではない」問題には脆い
むしろ逆です。彼らは、受験に最適化され、抽象化された知識処理には非常に強い。一方で、生活感覚や現実の不均一さ、地域ごとの事情といった、「答えが一つではないカオス」を前提に考える問題には、弱さが出やすい。そしてこの弱さは、地理の問題だけにとどまりません。
もう一つの側面として、「社会のカオス」への接触機会の減少があります。東大生のアルバイト経験を見ていると、コンビニや飲食店のような、理不尽なクレームや人間関係の摩擦が日常的に起こる現場よりも、家庭教師や塾講師など、「勉強ができること」がそのまま価値になる仕事を選ぶ人が多い傾向があります。
そこでは、基本的に謝る必要も、怒られる必要も、他人と強く衝突する必要もありません。評価基準は明確で、正解があり、努力がそのまま成果に結びつく。受験の世界と非常によく似た環境です。
しかし、社会に出ると話は一変します。数字や理屈だけでは動かない人がいる。正論を言っても通らない場面がある。感情、立場、歴史、人間関係が複雑に絡み合う。そこには、教科書的な正解も、模試の解説もありません。
受験の過熱化が生み出した構造の問題
こうした「カオス」は、受験中心の世界では必ずしも体験されません。だからこそ、東大生が社会に出たとき、「こんなはずじゃなかった」「思っていたよりもしんどい」と感じることがある。「カオスを知らない東大生」というのは、単に社会経験が浅いという意味ではありません。
受験教育が与えてきた世界観そのものが、「数字と正解で回る閉じたシステム」だったという点が、本質なのです。そしてこの背景こそが、就職活動や職場の人間関係、人生の転機において、東大生を不意に追い詰めてしまう一因になります。
受験構造の変化は、単に試験の難易度を変えただけではなく、東大生たちの社会的な地理感覚や、現実への耐性そのものにも影を落としている。この点は、東大うつを考える上で、避けて通れない論点だと、僕は考えています。



