父も子も、先を見る目がなかった

戦後は領土を没収されて改易。浪人となって京で寺子屋の師匠をしていたなどといわれる。大坂の陣(慶長19〜20年/1614〜1615)では豊臣方につき起死回生を狙うも、また敗れて、最期は斬首された。

「大坂夏の陣図屏風」・右隻
「大坂夏の陣図屏風」・右隻(通称:黒田屏風、大阪城天守閣所蔵、重要文化財)(写真=National Geographic/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

元親〜盛親親子の生涯を振り返ると、負け組と手を組むことが多い。

元親が織田政権下で明智光秀と交わっていたのに始まり、本能寺の変の後は織田信雄と連携して秀吉と対立した時期があり、秀吉の死後、子の盛親は関ヶ原と大坂の陣で家康を敵に回した。勝ち組と縁が薄い。

先を見る目のない父子――そう捉えられても、やむを得ないのではないだろうか。歴史にifは禁物だが、もし元親の兄弟たちが長生きし、異なる選択を助言していたら、この父子の凋落を食い止めることができたかもしれない――そう考えさせる一族である。

・平井上総『長宗我部元親・盛親』(ミネルヴァ書房、2016年)
・河内将芳『図説 豊臣秀長』(戎光祥出版、2025年)

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