「姫若子」と呼ばれた元親の素顔

若い頃の長宗我部元親は「姫若子ひめわこ」と呼ばれ、色白・長身の若者だったと伝わる。といっても容姿が女性らしいというわけではなく、引きこもりがちでおとなしい、姫のようだとの比喩らしい。

それが永禄3(1560)年の初陣で勇猛果敢に敵に突き進む姿を見せ、家臣の心をつかんだと、『土佐物語』は記す。『土佐物語』は軍記物なので信ぴょう性に欠けるが、元親と同時代を生きた僧侶は「口数が少ない」という人物評を残しており(『朝鮮日々記』)、ぶっきらぼうで愛想のないタイプだった可能性はあり得るだろう。

妻は石谷いしがい光政みつまさの娘。光政は室町幕府の奉行衆の一人で、13代将軍・足利義輝の側近だった。つまり元親の結婚は当初、幕府との関係強化を目的としていた。