「西日本一高い施設」としてオープン
新幹線駅直結という一等地に、なぜこれほどの空き区画が広がってしまったのか。
コトノハコ神戸はバブル真っ只中の1988年9月、「新神戸オリエンタルパークアベニュー・OPA(以下、OPAと表記)」としてオープンした。
当時は所得や余暇の増大によって消費者のニーズが多様化し、それに対応する複合施設が誕生しはじめた頃。OPAのほか、新神戸オリエンタルホテルと新神戸オリエンタル劇場が設けられた複合施設「新神戸オリエンタルシティ・C3」として華々しくオープンした。
ホテルは600の客室と24の宴会場、ジムやプールも備えられ、劇場には662のシートが設けられた。こけら落としは蜷川幸雄演出の「仮名手本忠臣蔵」であった。
新神戸オリエンタルシティは、南部海沿いを中心に東西に開発が進められてきた神戸市において、北部の山側に位置する神戸市立中央市民病院の跡地に建てられた。開発・運営を担ったのはダイエーグループ。ダイエーは神戸市の南北を結ぶ拠点として、新神戸の将来性に期待していたのだ。
ダイエーは465億円の巨額を投じ、地下3階〜地上37階、高さ158メートルで当時西日本一の高さの複合施設をつくった。OPAは地下3階〜地上3階に192店舗を出店した。
OPAのコンセプトは「ラビリンス(迷宮)&ネバーシース(とまらない)」。道路(トンネル)と地下鉄が通り、三角形かつ傾斜のある敷地に建てられたため構造が複雑であった。入口が多く、ブリッジやデッキでつながれた複雑な造りを逆手にとって、“迷宮”のような空間を売りにしていた。
一部24時間営業の店舗があるなど“眠らない”モールで、地下1階と地下2階にはディスコが入っていた。建物の外観も、高層ビルとして初めて頂部が三角屋根とされたり、地下3階から地上36階までを貫くシースルーエレベーターが設けられたりと、バブル期を感じさせる。
開業当初から問題を抱えていた
新神戸オリエンタルシティの地下3階は地下鉄新神戸駅直結、地上3階は山陽新幹線の新神戸駅とつながっている。施設の開業により、新神戸駅の乗降客数は増加した。
新神戸オリエンタルシティ開業前である1987年度の市営地下鉄新神戸駅の乗車人員は約235万人だったが、開業年の1988年度には約375万人にまで増加した。(神戸市『第66回 神戸市統計書 平成元年度版』)
当初の想定商圏よりも広い大阪圏からも集客。OPAの売上も開業初年度に目標の180億円を達成している。
一方、オープンから1年後には問題が指摘されていた。OPAとホテルの客層の乖離である。ホテル利用者はファミリーと高齢者層が多かったが、OPAのメインターゲットは20〜30代の女性であった。OPAでは若者向けの高級アパレルを中心に売上好調だったものの、ホテルと劇場は不調。OPAの土産店も不振だった。
日本経済新聞では、「広い敷地にスポーツ・レジャー施設を備えるSCとは違うし、近くに繁華街、三宮がある。このためいくら変化に富むと言っても『一度あきられたら終わり』という宿命を持つ」と指摘されている。(日本経済新聞 1989年5月4日付)
それでも、1991年春の店舗構成の見直しや同年10月の新神戸ロープウェイ開業により売上は伸長。1992年2月期の専門店の年間売上高は、前年同期に比べ9%伸長した。だが、ホテル・劇場・モールの客層がバラバラという構造的欠陥は、束の間の好調に覆い隠されたまま、手付かずで残されていた。


