台湾に「そもそもかなわない」
彼は、かつて社長を務めた日本ファウンドリーの親会社である台湾のUMCと日本の半導体メーカーを比較してこう言った。
「日本と台湾では経営のスピードが全然違うもん。台湾の会社は日本の会社の半分以下の投資額で、半分以下の時間で、半分以下のコストでやっている。僕らは当たり前のことを当たり前のこととしてやっている。日立やNECは国内に十数カ所も半導体工場があって、分散しすぎなんです。小規模の工場をたくさん抱えていて、大量生産にすらなっていないんです。台湾も韓国も、あるいは米国のTI(テキサス・インスツルメンツ)も、1カ所に猛烈に巨大な工場を造っている。そういうのに、そもそもかなわない」
1995年以降、凋落してきた日本の半導体産業の「現場力」の衰えにも気がついていた。
「ラインの半導体製造装置をモディファイ(最適化調整)できるエンジニアの力量が落ちてきている。以前はそうしたことのできたエンジニアがいっぱいいたのに、いまはいない。でも台湾はできているんです。台湾はトップレベルの学生が半導体業界に入ってきているけれど、日本はそうなっていない。このままでは日本の半導体産業は限りなく落ちていきますよ」
企画会社はわずか5カ月で解散
実際、坂本の言ったとおりになっていった。日本の半導体メーカーは最先端の微細化競争から相次いで脱落していったため、「みらい」が達成した成果を現実の半導体生産に生かせなかった。「あすか」の手がけたSoC技術も、日本勢自身が台湾のTSMCやUMCに製造を委託するようになり、日本国内では作らなくなっていった。
窪田が後押ししたスーパークリーンルームは、国土交通省が設計することになり、そこから公共事業の入札という段取りを踏んだため、できあがるまで2年余の歳月を費やしてしまった。
窪田はこう残念がる。
「半導体施設をいかに早く建てるかが課題だったのに、補正予算で要求して最終的に予算執行されるまで時間がかかり、さらに堅牢なコンクリート施設の設計と建設に時間がかかってしまったんです。『勝手を知っているNECや日立などに設計をやらせてもらえないか』と国交省側に頼んだのですが、入札で利用者が決まる前に、利用予定者があらかじめ設計に加わっていたら“出来レース”と見られる、と断られてしまいました」。当の産総研内からも「電気代がかかる金食い虫」などと評判が芳しくなかった。そもそも産総研内に半導体技術者の層が薄く、霞が関の本省から降ってきたプロジェクトとして白眼視されていたからだった。
福田のめざした「日の丸ファウンドリー」構想も、日立や東芝などが出資して企画会社「先端プロセス半導体ファウンドリ企画」を2006年1月に設立するところまではこぎ着けたが、それ以上は進まなかった。福田のシナリオでは、半導体各社から50億~100億円ずつ出資金を仰いで500億円の資本金を調達し、外資系証券会社からも資金支援を仰いで新工場を設立し、さらに経済産業省の補助金の支援を受ける――というものだったが、机上のプランで終わった。企画会社はわずか5カ月で解散を決めた。


