習近平が食らった“本当の痛手”
今回の中国は、批判されたから面子を失ったのではない。批判に対し、国防相級が正面から議論を引き受ける場面を作れなかったから面子を失ったのである。国際会議では、強い言葉で相手を非難すること以上に、「逃げていない」と見せることが重要になる。そこに小泉氏の反論と質問が重なったため、中国の不在はより大きく見えた。
中国側の反応も激しかった。テレビ朝日が6月3日に配信した記事によれば、中国外務省の林剣副報道局長は小泉氏の発言を「まったく根拠がなく、空虚で無力」と批判した。これに対し、防衛省の安居院公仁報道官は、事実に基づかない主張を繰り返しているとして反論し、立場の相違があるからこそ対話が必要だと強調した。
この応酬は、日中関係の緊張だけでなく、国際会議での「見え方」の重要性を示している。中国は日本の防衛力強化を歴史問題に結びつけて批判する。日本は、中国の軍拡と不透明性を問題にする。どちらの主張が周辺国に響くかは、強い言葉だけでは決まらない。誰が公開の場に出て、どこまで説明し、疑問に答えるかで決まる。
「力任せの大国」でいられる時代は終わった
今回のシャングリラ会合で日本は存在感を示したが、とはいえ今後の課題は山積みだ。
防衛費増額、反撃能力、装備移転の拡大は、地域の抑止に資する一方、周辺国に警戒感を与える可能性もある。中国に透明性を求めるなら、日本自身も政策の目的、限界、歯止めを説明し続けなければならない。小泉氏の演説が一定の説得力を持ったのは、その説明責任を日本側にも引き受ける姿勢を見せたからである。
習近平指導部にとっての痛手は、中国が説明を求められる側に回り、その場に十分な高官を置かなかったこと自体が、周辺国に不透明性を印象づけた点にある。大国の余裕を見せつけたつもりが、反論の機会を失い、赤っ恥をかいたと言っても過言ではないだろう。
シャングリラ会合が示したのは、中国の終わりではなく、中国が力だけでは信頼を得られない時代に入ったという現実である。中国が今後も大国として振る舞うなら、次に必要なのは威圧ではなく、正面からの説明である。


