清潔で無菌状態の物語ばかりでいいのか
作家になったころは、そこまで考えもせず、ただ書きたいように書いていました。いまは暴力に関しても性的なことに関しても、きちんと立ち止まって考えなくてはならない。それはそれでいいことですが、じゃあ暴力の場面を一切書かないでおこうとなるのは違うと思います。性的なことは書きづらいなと、女性を書くとき二の足を踏む気持ちがどこかにあるのは怖いなと感じます。
清潔で無菌状態の物語ばかりになれば、文学の持つ毒や、救済の力も弱まってしまうのではないか。そんな懸念を抱いています。先ごろ韓国の女性作家ハン・ガンさんがノーベル文学賞を受賞したり、日本の作家でも世界的に評価されているのは女性が圧倒的に多い。それはすばらしいことなのですが、そうした歓迎すべき時代の流れが、今後思わぬ新たな制約を生むことにつながらないかどうかは、注視しておかなければいけないと思います。
純文学作家が考えていること
【田中】また、職業として作家をやっているからには、書いたものが売れる・売れないという問題も常に立ちはだかります。自分の小説が広く読まれればそれに越したことはない。それはすなわち売れる小説を書けばいいということなのですが、売れることを優先するあまり自分の意に沿わないものを書くのでは本末転倒です。手にとりやすくて読みやすく、おもしろくてタメにもなるような小説がウケるのはわかりますが、そういうものを書けるのか、または書きたいのかは別の話です。バランスを見ながら進めるよりほかありません。
私がやっている純文学は、物語性をあまり取り入れなくても成立するジャンルです。だからといって物語性を排除する必要はないし、私としては物語性がしっかりある純文学のほうがいいだろうと思っています。そのうえでエンターテインメント要素の強いものを書かねばならないといつも思っています。
おそらく多くの純文学作家もそう考えていて、たとえば平野啓一郎さんとか川上未映子さんなどが、物語性やいまの時代を代表するようなテーマ、さらにはエンターテインメント性を強く意識して作品を書くようになってきていると思います。

