「敵は○○だ」という単純な話ではない

【田中】そうした状況に便乗して、「あそこに悪い奴がいる、そいつのせいだ」と一方的に名指しして不満や不足を利用する人たちが、政治・経済・社会のあらゆるところで出没するようになっています。

ビジネス街を歩く人々
写真=iStock.com/Bim
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税金のせい、外国人のせい、デジタル化のせい、いまの政権のせい……。おそらくそんな単純な話ではありませんし、敵を特定して罪を被せれば済むわけでもない。自分の人生がうまくいっていようがうまくいってなかろうが、自分のいまの在り方が、どこから来てどうなっていくのか、だれも説明がつかなくなっています。空気のような「システム」や「アルゴリズム」に支配されていて、実体がないから反逆もできない。

自分の人生がなかなかうまくいかないとき、原因が自分の努力で解決できるようなところにあればいいけれど、いまは社会のシステム上の問題と絡んでいることも多い。自責ばかりせず、「あなたは気がついていないけれど、こういうシステムの中にいるからあなたは苦労しているんですよ」ということを言ってもらえたら、ホッとするんじゃないでしょうか。そうやってホッとすることが正しいのかどうかもわからないのですが。

自由なはずの小説家にも「足枷」は襲ってくる

【田中】小説を書いている身であれば、正体のない者の支配から逃れられるのかどうか。無条件に逃れられるということはありません。自由業であるように見えて、さまざまな制約や足枷は、やはり襲ってくるものです。

たとえば、このところ小説を書いていると、政治的に正しいものでなければ許されないというような空気を感じます。フェミニズム、多様性、LGBTQ……、私は男の作家で小説を書いていますが、極端に言うと「男の作家である自分が小説の中に女性を勝手に書いていいかどうか」というところから、すでに迷いが生じます。書いたっていいに違いありませんが、かといって決して無分別ではいられません。

時代や世の中から、「あなたはどっちの立場ですか。いまは世の中のみんながこっちを向いていますよ。あなたはいったいどっちなのですか」と常に問われている気分です。一編を書き終えたあとも、「さて、この小説がこれから文芸誌に掲載されたり単行本になったとき、読み方によって傷つく人はいないだろうか」などと考えざるを得ません。