宗教学者 島田裕巳氏

【南】私が恐山に入ったのは、7年前のことです。大学を出て、西武百貨店に2年ほど勤めてから、「やはりサラリーマンは無理だ」と観念して、出家得度しました。入門時は「永平寺で死にたい」と思っていました。しかし厳しい修行も、数年もすれば慣れます。自己存在の危機を解決するすべはあるのか。それを突き詰めるために入門したのに、パターン化した生活の中で、行き詰まってきたちょうどその頃、恐山山主の長女との縁がありました。道元禅師(どうげんぜんじ)の750回忌という節目もあり、下山することになりました。

【島田】2つの寺はオーソドックスな仏教の視点では対極にありますが、その一方で、いまの「仏教ブーム」、さらにいえば「スピリチュアルブーム」の中では、一括りにされています。恐山にも若い訪問客が増えているのではありませんか。

【南】特に最近は、若い女性が1人で来るというケースが目立ちます。おととい来られたバーテンダーだという女性は、「こんなところに1人で来ると、自殺志願者だと思われますね」と笑っていました。「仏教に関心があるのですか」と聞くと、「わからない」と答える。おそらく日常に漠然とした違和感があるのでしょう。でもその違和感を処理するツールが見つからない。何かの手がかりを探しに、ここまでやって来る。そんな感じです。

【島田】南さんが永平寺に入られたのは、ちょうどバブル崩壊の前ですね。

【南】入山から3年経つと坐禅指導をするようになります。80年代の後半ですね。その頃は、焦りや苛立ちを訴える人が多かった。漠然とした強い不安、といえばいいでしょうか。それがバブル景気が崩壊して、オウム真理教の事件が起きた頃から質的に変わりました。不安ではなく、自分自身に対する違和感とか、居場所のなさを強く意識する人が来る。若い世代に限らず、あらゆる世代がそうなんです。具体的にいえば、中年以上の男性が簡単に泣くようになりました。

【島田】中年男が泣くのですか。

【南】はい。昔の男性は痛いところを突くと、怒りました。いまは泣きます。彼らは「一生懸命働いて、昇進もし、家庭を持って息子も大きくなりました」ということを淡々と話します。昔だったら自信を持っていいことなのに、それができない。逆に、自分のやってきたことはこれでよかったのか、と疑っている。だから孤独で、寂しそうです。