「真理」や「悟り」がブームになる怖さ

【島田】もっと上の世代には、そういうことはないのですか。

【南】ありませんね。団塊世代より下の世代が持つ違和感に、ブームとしての仏教が受容されているのだと思います。私はそうした「仏教に救いを求める」という考え方は危ないと思います。伝統教団も、癒やしや救済の求めに、素直に応じてきた面がある。しかし私は、仏教のユニークさや有用性は、そうした「一発回答」を示さない点にこそあると考えています。

【島田】同感です。極論すると、いまの仏教はキリスト教ではないかと思っています。キリスト教の開祖であるイエス・キリストが、具体的に何を説いた人物なのかは、必ずしも明確ではありません。イエスが直接記した教典はなく、信徒がまとめた「福音書」は複数存在します。同じように、釈迦がどのような教えを説いたのか、確かなことはわかりません。釈迦の教えを記したという仏典は、無数にあり、どの仏典を聖典とするかは宗派によって異なります。いわば、すべての仏典は「偽経」ともいえます。

また仏教は発祥地のインドではほぼ消滅しています。たとえばサンスクリット語の般若心経は法隆寺にしかありません。「ブッディズム(=仏教)」という言葉自体、西洋で生まれたものです。いま我々が親しんでいる仏教は、釈迦の説いたものとは違い、1度キリスト教をもとに再構成されたものである可能性が高い。

【南】「いまの仏教はキリスト教ではないか」というのは衝撃的なフレーズですが、よくわかります。いま「日本の伝統」とか「東洋の思想」とされるものは、ほとんどが西洋のフィルターを通したものです。これは1度、根本的に解体してみないといけない。とくに近代以降の仏教は、西洋の思考で再構築されているという点は、忘れてはいけません。

【島田】「仏教ブーム」ではテーラワーダ・ブッディズム(スリランカ、タイなどで盛んな上座部(じょうざぶ)仏教)の人たちが注目を集めていますよね。僕はそれを「スピリチュアル・ブッディズム」と呼んでいます。釈迦の説いた正しい仏教を実践している、というのが宣伝文句ですが、「正しい仏教」というものはありえません。