グーグルの関心は「移動データ」にある
これは非常におもしろい可能性にもつながる。
交通輸送は経済の血管ともいうべき存在だ。その多寡が経済の動きをある程度左右する。そしてもし公共が今後、無人運転車両も含めた交通輸送サービス供給の中心的な存在となれば、それは交通にとどまらない経済コントロールのツールとなる。つまり中央銀行がマネーサプライを(ある程度)左右するように、公共は交通サプライ――つまり提供する車両数――を通じた経済コントロールをするわけだ。最近経済が過熱していると思ったら、公共は提供する車両数を減らせばいい。
またこれで市街地開発もコントロールできるかもしれない。混雑した部分への交通を減らすような交通サプライをプログラムし、それを長期にやれば新開発地に交通を誘導できる。公共が交通サービス提供をするとなれば、いまのピークロードプライシング(混雑度課金)のみならず物理的に車両をコントロールできるのだ。
実は、温暖化問題を口実にした二酸化炭素排出の規制もこれと似た構図を持っている。二酸化炭素排出量の規制で経済活動を統制できる。今世紀末あたり、マネーサプライと二酸化炭素排出と交通供給という3つの経済活動の血液を通じた新しい管理統制経済があり得ると思うのだが……。
が、これは話があまりに先走りすぎた。たぶんぼくの存命中にこれが実現することはないだろう。おそらく、自動運転や無人運転がそこまで全面的に導入されるのは当分先だ。それまでは、おそらく自由の象徴としての自家用車とは無縁の、安全と低コストを重視する商用車、貨物車などが自動運転の主役となりそうだ。それもあらゆる道路ではなく、限られたいくつかの拠点を結ぶ、限られたルート上だけで実施というのがありそうだ。いまのトラックや、続いて路線バスなどは、途中の高速道路や主要ルート上はすべて無人運転にして、最初と最後の部分だけ運転手が乗り込んで運転といったやり方もできそうだ。
そして自家用車は、それに便乗したクルーズコントロールの豪華版のような形で少しずつ自動無人運転対応が出てくるが、それが本格的に受け入れられるかは、値段の問題もあってまだまだわからない。たぶん自動運転/無人運転にもいろいろモードを切り替えられるはずだ。速度優先かコスト優先か快適性優先か――そのモードと課金(道路の利用課金は必ず今後出てくる)の組み合わせで様々なコントロールが生じる。これがおそらく今世紀後半に大きく進展するのではないか(※2)。