安全運航を維持しながら、大規模なリストラを実行するのは、とても大変なことです。何よりも大切な「安全」を理由に要求すれば、社長であっても「ノー」とは言えません。リストラをすると安全が守れない、タクシー通勤をやめると安全が守れない、休みを減らすと安全が守れない、と言うこともできたのですが、私はしたくなかった。しかし、1度だけ「安全のため」という言葉を使って、稲盛会長に「1つだけ私の意見を支持してください」と訴えたことがあります。

「これだけのリストラは誰も経験したことがありません。私は社内にアンテナを張り巡らしてありますから、私が無理だと思ったら、全便を直ちにストップさせていただきます。安全のためです。それを支持してください」

稲盛会長は、目をつぶり腕組みをして1分ほど黙っていました。それから「植木君が言うのだから、そういうことなんだな」と答えてくれたのです。

10年12月に、採算の大元締めである路線統括本部長に就きました。今まで経験したことのない部門ですから、国際提携のやり方をはじめとして、覚えなくてはならないことが多く、大変でした。

しかし、「部門別採算」はわりとスムーズに社内に浸透していきました。これは、やはり業績が順調に上がっていったからでしょう。毎月の業績報告会で配られる資料の最後に、年度末の利益予想が出ています。これが月を追うごとに上がってくる。当初予想の641億円に対し、700億円、800億円、ついには1000億円を突破、最終的には1884億円の営業利益を出せました。

こうなると、楽しくなってきます。1年目も2年目も上振れでこれたので、社員みんながその楽しみを知ることができました。初めて数字を追うことの楽しみを知ったと言ってもいい。

社長就任に際しては、稲盛会長からは「社長は植木さんにやってもらいます」と素っ気なく言われました。ただ、その後に「路線統括本部長も続けなさい」と指示されて、これにはビックリしました。でも、これでまだ、数字を追う楽しみを続けられそうです。

日本航空代表取締役社長 植木義晴
1952年、京都府生まれ。父親は、俳優・片岡千恵蔵。75年、航空大学校を卒業し、日本航空(JAL)入社。2008年、ジェイエア副社長。10年、執行役員(運航担当)、12年2月、社長就任。
[座右の銘]無私[座右の書]『宮本武蔵』(吉川英治)
[考える場所]どこでも。電車で考えごとをして駅を乗り過ごしたことも
[顧客の声を知る手段]毎日、現場から上がってくる「お客さまの声」レポートを丹念に読む
(樺島弘文=構成 小倉和徳=撮影)
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