夫の手で逝った19歳の覚悟
夫人には4人の「付家臣」、つまり従者がいた。その内の1人は勝頼と夫人に付き添って自害する道を選び、残り3人は夫人から辞世の句と髪を託され、「私たちの最期の様子を伝えるように」との指示を受けて小田原に向かった。
丸島和洋氏は、『甲乱記』には勝頼・北条夫人を美化した内容が多く見られるとしつつも、「少なくともこの記述まで(3人が戦場を離脱するまで)は一定の事実を反映しているのではいだろうか」と述べている(『桂林院殿 武田勝頼の室』)。3人が小田原に落ち延びたことによって、のちに『甲乱記』が成立したと考えられるからだろう。
北条夫人は読経し、命を断った。勝頼が介錯を務め、直後にみずからも自刃して果てたという。
夫人のはかない生涯には、夫と共に過ごしたかけがえのない時間が、確かにあったように思える。その記憶を胸に、夫人は最期の瞬間を迎えたのではないだろうか。
お市の方や細川ガラシャほど名は知られていない。だが、戦乱のただなかを鮮烈に生きた若き女性として、忘れてはならない存在だ。
参考文献
・丸島和洋『桂林院殿 武田勝頼の室』(黒田基樹・浅倉直美編『北条氏康の子供たち』宮帯出版社所収、2015年)
・平山優『武田三代』(PHP新書、2021年)
・楠戸義昭『城と姫 泣ける!戦国秘話』(新人物往来社、2010年)


