追い詰められた武将の妻になった市と北条夫人

北条夫人と勝頼の結婚から2年後の天正6(1578)年、越後の上杉謙信が逝き、後継者争いが勃発した。衝突したのは謙信の二人の養子、景勝と景虎だ。世にいう御館の乱である。

景虎は実は北条氏康の息子で、そもそもは三郎といい、氏政と北条夫人の兄弟である。上杉は北条と越相同盟を結んだ際の証しとして、三郎を謙信の養子として迎え景虎を名乗らせ、景虎は謙信の姪を妻とした。

こうした関係である以上、勝頼は御館の乱において、妻の兄弟である景虎を支援する立場にあった。実際、勝頼は北条から要請を受け、越後と信濃の国境付近にまで兵を進めている。