燃え盛る火のなかを、は絶対にウソ
結論としては、小谷落城の2日前だったのか、それ以前だったのかはともかく、落城より前に、市と3人の娘は城を離れていた可能性が高いといえる。また、仮に落城時に逃げたとしても、火が燃え盛るなかを走って逃げたというのはウソである。なぜなら、小谷城は発掘調査の結果、城の建物が焼けた痕跡がまったくないのだ。
もうひとつ、「豊臣兄弟!」で描かれたように、信長が藤吉郎らに長政との和睦交渉を許し、それにもかかわらず、長政がそれを拒んだということは考えにくい。
長政には万福丸と称する嫡男がいた。市の息子ではないと思われるが、和睦の結果、自分だけでなく万福丸の命が助かる可能性があるなら、その道を選んだのではないだろうか。しかし、『信長公記』には次の記述がある。
浅井長政には10歳の嫡男がいるので、それを探し出し、関ヶ原という場所で磔に架けた。信長は年来の無念を果たした
原文 浅井備前が十歳の嫡男御座候を、尋ね出だし、関ヶ原と云ふ所に張付に懸けさせられ、年来の御無念を散ぜられ訖んぬ
信長には強い「無念」の思いがあった以上、長政を許したと思えない。一方、長政は万が一和睦のチャンスがあれば、嫡男の命が助かるのだから受けたのではないだろうか。
だが、史実に忠実だとあまりにも殺伐としてしまうので、こうしたフィクションはやむを得ないのだろう。万福丸の最期もあまりにむごく、大河ドラマでは描けないのは、いうまでもない。

