トヨタに受け継がれるものトヨタがこの先に残すもの

トヨタが今も進めている販売改善について、わたしは尋ねた。

「『トヨタ物語 未完と不屈のトヨタ生産方式』では、それまで生産部門にしか入っていなかったトヨタ生産方式を販売部門に導入しようとする豊田さんの話が出てきます。当時は工販合併の直後でもあり、また、販売店としては聞き慣れないトヨタ生産方式を導入することに抵抗がありました。

豊田章男会長

当時の、あるエピソードがあります。

販売店の2世だったある若手社員がいました。若手社員が所属していたのは豊田さんが課長をしていた国内業務部の業務改善支援室(1996年設立)でした。

若手社員はある日、豊田さんから呼び止められたそうです。

『トヨタって会社をどう思う?』

若手社員はこう答えました。『売り上げが1兆円にもなる大会社で、周りはみんな、いい会社だと誉めてくれます』

すると、豊田さんは不思議そうな顔をした。

『それはおかしい。うちはクルマ屋だ。いいクルマをつくっている、いい社員がいると誉められるべきだ』

若手社員は今や販売会社の社長になっています。彼は今も忘れていません。

『豊田会長が〈もっといいクルマをつくろう〉と言ったのはあの時からだった。社長になって急に言い出したことではなく、昔からずっと信じて語っていた。あの人は昔からまったくブレていない』」

この話をしたら、豊田章男はこう答えた。

「『もっといいクルマをつくろう』はもともと、トヨタにあったものです。創業者以来、脈々と続いてきたメッセージなのです。それが一時期、おかしくなったことはある。ある時期、エリート集団と称する人たち、肩書を大切にして働く人たちが会社の歴史に興味を持たずに短期の目標だけを追った。

『クルマを数多くつくりたい』『たくさん売りたい』『世界一になりたい』……。数字を追ったんです。それでおかしくなった。当時は現場とマネジメントが乖離していました。

ところが、ここが問題なんだけれど、世間やマスコミはその頃のトヨタを誉めた。すると、社内の人間は『そうか。たくさんつくってたくさん売れば世間は誉めてくれるのか』と勘違いしたわけです。

私が社長になってからは元に戻したんです。販売改善に力を入れたのはお客さまの情報が生産、開発に届くようにするためでした。生産と販売のリードタイムも短縮しました。現場とマネジメントの考えが一体化するようにしました。

カーレースに挑む豊田章男
「モリゾウ選手」としてカーレースに挑む豊田章男。「もっといいクルマづくり」を常に目指し、みずからがドライバーとなり追求を重ねている。富士スピードウェイや“世界一過酷”といわれるニュルブルクリンクの24時間耐久レースに出場している。

ただ、これは私だけがやったことではないんです。豊田喜一郎の時は生産から販売までジャスト・イン・タイムでした。豊田英二、豊田章一郎も販売改善をやりたかった。ただ、その頃のトヨタは自工と自販に分かれていました。私がやっていることはすべて、もともとトヨタが持っていたのです」

「今は『いいクルマをつくってるね』と言われる会社になったのではないでしょうか」

彼は微笑した。

「私にとっていちばんの誉め言葉は『いいクルマをつくってる』と『いい人材が多いね』と言われること。

『世界で1000万台も売っているんですか。それはすごい』

そう誉めてもらっても、ぜんぜん響かない。それ、全然響かないですよ、私は。

今でこそやっと『いいクルマをつくってますね』と言われるようになりました。でも、まだまだこれから。会長になって残された時間にやりたいことは、『本当にいい人材が多い』とみんなに言ってもらうこと。うちは現場に行けば技のある人たちが大勢、います。本当にいる。製造部門だけじゃない。事務部門にも販売部門にもいます。

もう一度、言いますけれど、トヨタは変わっていません。これがトヨタなんです。私ひとりが会社を変えたなんてことはない。時間をかけて元からあった体質に戻したといえます。

たとえば、身体の調子がひどく悪いと西洋医学では薬を出したり、あるいは手術して悪い箇所を切除してしまう。それは外科的な解決法です。私がやったことは東洋医学だと思う。そして、トヨタがもともと持っていたDNAを刺激したにすぎない。会社を変えるといえば、外科的に手術して切ってしまうけれど、それをすると対立の芽が残る。私はそれぞれの人をリスペクトして、元の体質に戻したんです。『もっといいクルマをつくろう』はトヨタに脈々と続くメッセージです」