日本人の服装は明治以降、着物から洋服へと変わっていった。神戸大学大学院教授の平芳裕子さんは「明治政府が公的な衣服として洋服を採用したものの、当時の日本人にとっては未知のものであり、マニュアル本を読んで勉強するしかなかった」という――。

※本稿は、平芳裕子『何がダサいを決めるのか』(ポプラ新書)の一部を再編集したものです。

岩倉使節団
岩倉使節団。1872年、明治4年12月、サンフランシスコ到着直後の岩倉使節団の面々。左から木戸孝允、山口尚芳、岩倉、伊藤博文、大久保利通。(画像=PD US expired/Wikimedia Commons)

あの西郷隆盛を慌てさせた“事件”

私たちがなにげなく着ている服にも、歴史があります。明治新政府における服装をめぐっては、こんな逸話も残されています。

薩摩藩士であった西郷隆盛も、宮中へ参内するときには「衣冠」に着替えなければなりませんでした。ところが着慣れないものであるために、途中で紐が切れてしまい、大いに慌てたというのです。西郷隆盛が動揺する様子が目に浮かぶようです。しかしこれは、現代の政治家が慣れないモーニングを着たために、着こなしがよろしくないと批判された事件を思いおこさせます。

ふだん着ない服を着るのは、気を使うものです。みなさんも、もし会社の上司や学校の先生に、「明日は着物で来てください」と言われたらどうでしょうか。大半の人は、「困った」と思うに違いありません。

当時の日本人にとっては未知のもの

まず、着物そのものを持っていない人が多いと思います。取り急ぎ入手するには、専門店やデパートに行くのが手っ取り早いでしょう。しかし、反物(生地)を選んで仕立ててもらうには時間がかかります。それに高価なものをすぐに購入するのはためらわれるかもしれません。

そこで、レンタルショップへ行くことにします。たまたま明日着られる商品があったとしても、下着や小物など着物専用のいろいろな付属品も必要になります。それらをなんとか用意できても、今度はどのような順番でどうやって着ればよいのかわからない。そんな方が多いと思います。私たちはふだん「洋服」を着て生活しているので、突然「着物で来てください」などと言われたら、さまざまな問題にぶつかります。

 これと似たような状況を、明治のころの人々も経験したことと想像されます。当時の人々にとっての洋服とは、それまで実際に見たこともない未知のものです。ここでは、日本の人々がどのように洋服を着るようになったのか、その歴史的背景と社会的状況を振り返りながら、現代の私たちの服装の選択について考えてみたいと思います。