日本へやってきた外国の衣服

日本の人々の服装が、着物から洋服へと変化したことを「洋装化」と呼びます。この「洋装化」や「洋服」という言葉に用いられる「洋」という字は、「西洋」の「洋」を意味しています。

歴史をさかのぼるならば、外国の衣服が日本へもたらされたのは、明治時代からの洋服だけではありません。奈良時代には中国の王朝である唐の装い、戦国時代には南蛮服と呼ばれるポルトガルやスペインの装いがもたらされましたが、その影響は一部の人々にとどまりました。

それに対して、幕末から流入した西洋のファッションは、その後すべての人々の装いを変えてしまったほどに大きな影響力をもちました。そのきっかけはなんだったのでしょうか。

沿岸警備兵は動きやすい洋服を選んだ

最初に洋服の要素を取り入れたのは、沿岸警備にあたる藩士、つまり兵士たちでした。江戸時代の日本では諸外国との交流が制限されていましたが、幕末になると日本近海にたびたび外国船が出没するようになります。そのため、沿岸部の警備が重要となり、兵士たちが着用する衣服から洋服的な要素が取り入れられていきました。というのも日本の着物にくらべて、西洋の衣服は活動性にすぐれているとみなされたからです。

着物と洋服の違いについて考えてみましょう。着物は布地を豊かに使用します。体を布地で覆うようにして着ますが、しばしば豊富な布地が行動の妨げとなることがあります。一方、洋服は体の形にフィットするように作ります。体の動きも考慮してつくりますので、機敏な動作に向いています。そのため、武器を持って戦わなければならない兵士たちの装いから、洋服的な要素が進んで盛り込まれるようになったのです。

たとえば、腕の部分を筒形にした「筒袖」、両脚をスリムに覆う「細袴」など、洋服的な形式が採用され、活動的な軍服へと改良されていきました。