高度成長期の職場は20代だらけだった
高度経済成長期と呼ばれているのは、おおむね1955年から1973年まで。それ以降、高齢化が進んでいることを考えれば、日本社会そのものの前頭葉が衰えたように見えるのも当然かもしれません。
高度経済成長期の後半にあたる1970年の日本人の中位数年齢は29歳でした。つまり、30歳でも「後輩」のほうが多いぐらい全体的に若かったのです。その中位数年齢が2026年には50歳まで上がります。いまや40代でも、相対的に「若手」のポジションになったということです。
でも、社会の中で「若手」に位置づけられるからといって、心身が昔の40代より若いわけではありません。生物学的な衰えが始まるタイミングは、昔もいまも同じです。
そして前頭葉の萎縮が始まるのは、早ければ40代。中位数年齢が20代だった高度経済成長期は、まだ前頭葉が縮んでいない人たちが社会の多数派でした。しかし中位数年齢が50歳となった現在は、それが完全に逆転しています。前頭葉が衰え始めた人たちが、日本では圧倒的な多数派になっているのです。
そのような構造の社会が、「前頭葉の働きが鈍った集団」になるのも無理はないでしょう。高度経済成長期と比べて、意欲、思考力、創造性、共感性などが低下したのは、ある意味で必然です。
現在は「脳の老化」世代が管理職に
高齢化に伴って、企業をはじめとする組織の意思決定を左右する管理職の年齢も上がってきました。高度経済成長期は30代で課長、40代で部長、50代で役員……というのが一般的でしたが、いまは課長クラスでも平均年齢が50歳近くになっています。
かつては55歳だった定年が60~65歳に延び、また再雇用制度が導入されたことも、その要因でしょう。結果、「上」が詰まってポストがなかなか空かず、能力はあっても若いうちに昇進することができなくなりました。年功序列から成果主義への転換も簡単には進みません。制度的には若手の抜擢が可能になっても、実際には中高年の管理職比率が相変わらず高く、年功序列が温存されています。
つまり現在の日本企業は、「前頭葉の老化が始まった人」が管理職を務める割合が、高度経済成長期よりも高くなったのです。昔は部長が45歳ぐらいでしたが、いまは課長が50歳、部長が55歳ぐらいという会社もめずらしくありません。
その年代の人たちは、たとえ下の若い世代から斬新な提案があったとしても、そう簡単には受け入れようとしません。前頭葉が老化して意欲が低下し、環境の変化に適応しにくくなった人にとっていちばんありがたいのは、「従来どおりに物事が進むこと」だからです。
そのため、会社の業績が上がらず、何か新しい取り組みを始めなければいけない状態であっても、「前例踏襲」路線を選んでしまう傾向が強くなります。多くの組織がそんなことになっているから、日本経済は停滞から抜け出せないのです。

