震えは人間への恐怖ではなかった

棒で3センチメートルほどの穴を開けて電灯の光を差し込むと、3メートルほど奥にクマの目が光る。クマは土管状の穴の奥で丸くなっており、凶作年とは思えないほどふとっていた。

「いたいた、震えているぞ」

クマを見て皆、笑った。そういえば秋田で越冬中を観察した多くのメスグマも震えていた。

クマが我々を恐れて震えているのだと、ずっと、ずっと思ってきた。

しかし、そうではなかった

あれから30年後、アメリカでの観察報告の中に「越冬クマは体温が下がり過ぎるのを防ぐため時々震える」とあった。あのクマたちは全身に温かい血を巡らして、我々に反撃しようとしていたのだ。

ヒグマ
写真=iStock.com/DieterMeyrl
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クマと「ダルマさんが転んだ」

山野でクマに会うと、クマはさほど視力が良くないと思えることが起こる。クマがこちらから視線を外したら私が数歩クマに向かっていき、こちらを直視したら止まることを繰り返して直近まで近寄る。いわば「ダルマさんが転んだ」みたいにして10メートルほどまで近づくと、クマは怒りを振りまいて慌てて逃げる。

クマは数秒前の位置といまの位置との差が測れないようで、深視力が弱いのではないか。すなわち、前後の距離感をつかみにくいのだ。このことから私は、クマと遭遇したときの対処法として「正対しながら後ろに下がる」方法を提案している。

春先の澄んだ大気の中で残雪上という条件なら、クマは500メートル離れた私を発見して逃げた。この場合、「見えた」というより私たちの動きを「察知した」感じだ。私は30代の頃は、800メートル先のクマやカモシカが見えたものだ。

森林に棲むツキノワグマは遠くの獲物を視力で探し出す必要がなく、目先の昆虫や果実類を食べるし、鼻を天に突き上げて臭いで状況を確認している。それでいて、距離5メートルの樹上にいるクマが樹下の私たちに気がつかないこともある。私はクマの観察の際、つねに被害対策を念頭に置いている。