脳と気分への影響も

また、大気汚染の影響が肺や心臓だけで終わらないことは、近年の研究が次々と明らかにしています。2025年には、4.5〜26.9µg/m3の長期曝露で認知症リスクが平均14%上昇したとの報告もあります。

別の2025年の研究では、短時間の粒子曝露のあとに脳の実行機能の低下が確認されました。実行機能とは、段取りを立てる、判断する、集中を切り替えるといった、日常のあらゆる場面で使われる脳の働きです。「なんとなく今日は頭が回らない」「会議中に集中力が続かない」という感覚が、空気の悪さと無関係でないかもしれないのです。この影響は特定の敏感な人だけの話でなく、健康な成人にも観察された点が重要です。

さらに別の2025年の研究では、PM2.5成分への長期曝露とうつ病リスク上昇の関連が報告されています。また2026年の研究では、50歳以上において身体機能低下や日常生活動作の障害への移行にも大気汚染が関与しうることが示されました。

老後の自立を左右するADL(日常生活動作)に、毎日の空気が影響しているとすれば、これは若い世代にとっても無視できない話です。空気問題は肺炎や喘息だけの話ではなく、判断力・メンタル・老後の自立まで含めた、生活の質そのものに関わる問題なのです。

出典
Nature Aging. A systematic review with a Burden of Proof meta-analysis of health effects of long-term ambient fine particulate matter (PM2.5) exposure on dementia.
Nature Communications. Acute particulate matter exposure diminishes executive cognitive functioning after four hours regardless of inhalation pathway.
JAMA Netw Open. Exposure to Multiple Fine Particulate Matter Components and Incident Depression in the US Medicare Population.
JAMA Netw Open. Air Pollution and the Progression of Physical Function Limitations and Disability in Aging Adults.

屋外で走るほど汚染を吸い込むジレンマ

そこで気になるのは、皇居ランなど屋外での運動です。運動の健康効果は誰もが認めるところですが、大都市の屋外での運動は、PM2.5などの有害物質を体に取り込む面もあるからです。

海辺の橋の上を走る
写真=iStock.com/lzf
※写真はイメージです

では、どのくらいの空気なら屋外で運動してもよいのでしょうか。現時点で実用的な目安はPM2.5の25µg/m3です。2025年の大規模な研究では、余暇の身体活動による死亡リスクが低下する率は、PM2.5が25µg/m3未満では約30%みられた一方、25µg/m3以上では12〜15%程度までしか弱まらない、と報告されました。

日本の環境基準(24時間値の年間98パーセンタイルが35µg/m3以下)はあくまで行政上の目標です。個人の運動計画は、より細かく考えることが大切です。25未満なら通常の屋外運動、25を超えたら負荷を抑える、35前後なら屋内に切り替える、というのが現実的な目安になりそうです。

また、空気の悪さは将来的な病気リスクだけでなく、運動パフォーマンスにもはっきり影響します。米国の主要マラソン大会約256万件の完走記録を解析した研究によると、レース当日のPM2.5が1µg/m3高くなるごとに、完走タイムが男性で32秒、女性で25秒遅くなることが明らかになっています。わずか1µg/m3の差でこれだけ変わるのか、と驚く方も多いでしょう。

仕組みを考えれば納得できます。安静時の分時換気量は毎分6〜8L程度ですが、走ると数十L/分まで跳ね上がります。走っている身体は酸素を取り込む高効率な装置であると同時に、汚染物質を深く吸い込む装置でもあるのです。鼻呼吸ではなく口呼吸になるほど、フィルター機能も下がります。ウォーキングでも、軽いジョギングでも、同じことが起きています。だからこそ、道路沿いを走るか公園の中を走るか、外に出るかジムにするかといった日々の選択が、パフォーマンスと健康の両面で想像以上の差を生む可能性が考えられます。

出典
Sports Med. Running on Fumes: An Analysis of Fine Particulate Matter's Impact on Finish Times in Nine Major US Marathons, 2003-2019.
PeerJ. Marathon race performance increases the amount of particulate matter deposited in the respiratory system of runners: an incentive for “clean air marathon runs”.
BMC Medicine. Does ambient PM2.5 reduce the protective association of leisure-time physical activity with mortality? A systematic review, meta-analysis, and individual-level pooled analysis of cohort studies involving 1.5 million adults.
環境省「日本の環境品質基準 - 大気質