「自社の過ち」も辛辣に追及してきた

そうした表の顔だけではない。キャスターになってからは、取材中に小指を切断したり、取材相手に殴られたり、銀座や赤坂のママたちが料治の顔を見てから出勤したり、といった数々の「伝説」を残していた。その激動の人生を、元・NHK記者でルポライターの瀧井宏臣氏が『武骨の人 料治直矢』(講談社、2004年)で生き生きと描いている。

瀧井宏臣『武骨の人 料治直矢』講談社
瀧井宏臣『武骨の人 料治直矢』講談社

人間味にあふれるキャスターが、たとえば、フィリピンのベニグノ・アキノ元上院議員暗殺事件の真相を明かした世界的スクープを生み出すのだから、見る者を惹きつけないはずがない。料治氏は、1996年に発覚した「TBSビデオ問題」(オウム真理教の幹部に、坂本堤弁護士のインタビューテープを放送前に見せ、そして、その事実を隠蔽していた問題)でも率直に同社を批判している。

私にとって「報道特集」とは、自分たちだけではなく、自社の過ちについても、辛辣すぎるほどに追及する、そんな報道番組の見本・手本と言える憧れの的だった。それだけではない。料治氏は、吉田戦車の傑作漫画『伝染るんです。』のなかで、幼児が「りょーじしゃん」とテレビに向かって叫ぶぐらい名が通り、多くの人に親しまれていたのである。こうした栄光こそ、今回の炎上の原因であり、足枷ではないのか。

報道番組のパイオニア的存在だったのに…

「土曜よる10時から、充実の55分」とのキャッチコピーで「ゴールデンタイムに初の本格報道番組登場!」と始まったものの、その1年半後には、放送日時を日曜日の18時から19時に移す。それから、「報道特集」は、2008年までの16年間にわたって日曜日の夕方、つまり、「笑点」(日本テレビ)の後であり、「ちびまる子ちゃん」や「サザエさん」(いずれもフジテレビ)という高視聴率番組の裏で放送され続けた。

低視聴率にあえぎ土曜日夜から移動を余儀なくされたとはいえ、それでも、日曜日の夕方の報道番組である。いまは、「真相報道バンキシャ!」(日本テレビ)が定着しているとはいえ、40年以上も前、ニュース、それも民放による「調査報道」は耳目を集めているとは言いがたかった。その未開の地を耕した功績は、テレビの歴史のみならず、日本の報道の歴史を画する。まさにこのプライドが、今回の炎上を招いているのではないか。

私は昨年、プレジデントオンラインで、参議院選挙の報道をめぐって「参政党が躍進したのはTBS『報道特集』のおかげである…マスコミが直視できない『メディア不信』の根深さ」と題して、同番組が、良かれと思った行為が逆効果をもたらす「行為の意図せざる結果」に当てはまると説いた。参政党の「日本人ファースト」に関して、「排外主義の高まりへの懸念が強まっていることを(中略)問題提起」した結果が、参政党の議席増を導いた、と論じた。

今回は、どうか。