反戦自衛官=“悪魔”に操られた犠牲者

私が連隊長に着任して以来、連隊本部の担当者は月1回の連隊朝礼のたびに私の隊員向けの訓話をテープに録音し、これを活字に起こしていた。その理由はこうだ。反戦自衛官問題が浮上して以来、歴代連隊長が朝礼で話した内容は、夕刻には反戦自衛官機関紙の『不屈の旗』に掲載されていたとのこと。これが法廷闘争などで使われる恐れがあるというので、連隊側も記録を残していたのだった。

着任後、隊員達の話を聞くうちに、32連隊から多数の反戦自衛官が出たことが、彼らの心に暗い影を落としていると感じた。

反戦自衛官は、かつて同じ釜の飯を食った仲間であり、都内で偶然再会して言葉を交わすこともあったという。

そのため、私は訓話で彼らを直接非難するのではなく、次のように語るようにしていた。

「反戦自衛官となった彼らは、もともと頭も良く、正義感に富んだ優秀な人間だった。しかし、極左グループから誤った思想を吹き込まれ、それを純粋に信じてしまった。彼らは“悪魔”に操られた犠牲者であり、真に憎むべきは彼らを利用した黒幕の側だ」

私はいまもその考えを変えていない。

イデオロギーとの出合いは「偶然」

人がどの思想に傾くかは、しばしば偶然の産物である。私自身、小学生のころに「共産主義は貧しい人を救う思想だ」と聞いて感動し、「大人になったら共産党に入ろう」と思ったことがある。

家族に強く反対されて思いとどまったが、もし別の進路を歩んでいれば、私は体制側ではなく反体制側にいたかもしれない。

人は、深い比較検討を経て思想を選ぶというより、偶然のきっかけで出合い、のめり込み、やがて体制側と反体制側に分かれて争うようになる。反戦自衛官問題は、その典型的な構造を示している。