地下鉄サリン事件で出動した32連隊

私は平成5(1993)年7月1日付で市ヶ谷駐屯地の32連隊長を拝命した。32連隊は山手線内に駐屯する唯一の実戦部隊であり、隊員達は自らを「首都防衛連隊」「近衛このえ歩兵連隊」と称して誇りを持っていた。

任期制隊員の知能偏差値は全国でももっとも高く、状況適応力に優れ、訓練の進歩も速い。私は彼らを「人材の32連隊」と呼び、包括的な方針を示すだけで、各自が役割を理解し、相互調整しながら迅速に行動する隊風が確立していた。

この高い能力があったからこそ、のちに発生した地下鉄サリン事件という未曽有の事態にも、連隊は見事に対処できたのである。

地下鉄サリン事件にて、除染を行う自衛隊員と警察官。公安調査庁のオウム真理教事件デジタルアーカイブで公開された写真。1995年3月20日撮影
地下鉄サリン事件にて、除染を行う自衛隊員と警察官。公安調査庁のオウム真理教事件デジタルアーカイブで公開された写真。1995年3月20日撮影(写真=陸上自衛隊/CC-BY-4.0/Wikimedia Commons

32連隊の「プラスの側面」について書いたが、じつは「マイナスの側面」として「反戦自衛官問題」があった。当時、32連隊が全国的に有名になったのは隊員のなかから多数の「反戦自衛官」を出したからであった。

夜学に通う自衛隊員がターゲットに

共産党などの左翼勢力が革命を実行するうえで、軍隊は大きな障害になる。この障害を乗り越えるためには、軍隊の中に革命分子を送り込むか、兵士を革命陣営に寝返らせることが必要だ。

日本の左翼グループも、彼らの考える革命を起こそうとするとき、最大かつ最後の障害となるのは自衛隊であることを強く認識していることだろう。当時、極左グループは自衛隊を弱体化するため、ないしは自衛隊そのものを革命に利用するために、自衛隊員を自陣営に取り込むことを目標にしていたものと思われる。

極左グループは「山手線の内側に唯一ある32連隊」の重要性に目を付け、計画的に隊員の取り込み工作をしてきたものであろう。連隊の隊員達(陸士、陸曹)の中には夜間大学(早稲田大学、東京理科大学、法政大学、東洋大学、日本大学、国士舘大学など)や定時制高校への通学者が多数いた。私が連隊長のころは、これらの夜学生は40~50名程度だったが、昭和50(1975)年ごろのピークには80~90名ほどもいたという。

連隊はこれら夜学生にさまざまな便宜を与えていた。東富士演習場などで連隊統一の訓練を実施する場合には、夜学生のみは訓練終了後1泊の野営をさせることなく、ひと足先に帰隊させ、通学させるのが習わしだった。また、各中隊には夜学生を指導する担当者を置いて、勉学などの指導をしていた。

これらの夜学生が、大学の左翼教授や極左グループなどの影響を受けやすい環境に置かれていたのは事実である。