32連隊生え抜きの隊員が対峙した
反戦自衛官問題の渦中で、32連隊内部の秩序維持と組織防衛の最前線に立った幹部がいた。当時、連隊本部3科(作戦・運用)に所属していた清水剛1尉である。彼は昭和50(1975)年に入隊し、32連隊で陸士から幹部まで一貫して勤務した、生え抜きの隊員だった。
清水1尉は武道に秀で、銃剣道では全日本大会で複数回優勝するほどの実力者で、若い隊員からの信頼も厚かった。だが、彼が反戦自衛官との闘争で果たした最大の役割は、武道の強さではなく、組織の規律と士気を守るために必要な“人心の機微を掴む力”とリーダーシップだった。
以下は、私が連隊長として着任した際、清水1尉から直接聞いた証言を基にまとめたものである。
「“代理戦争”だったのではないか」
清水1尉が反戦自衛官と対峙したのは、彼が3尉になったばかりのころだった。彼はこう語った。
「自衛隊の歴史のなかで、隊内に反戦自衛官が公然と存在し、ビラ配布や掲示を行い、長期間にわたり隊員獲得工作を続けた例は、32連隊以外にないと思います」
憲法上、自衛隊の存在が曖昧であり、思想信条の自由が強く保障されているなかで、自衛官の思想を規制する明確な根拠は乏しかった。そのため、反戦自衛官との対立は、武力を伴わない「静かな闘争」として長期化した。
清水1尉は、この闘争を次のように位置づけている。
「本質的には、冷戦下の東西対立の延長線上にある“代理戦争”だったのではないか」
つまり、32連隊内部で起きた対立は、単なる隊内トラブルではなく、外部勢力が自衛隊内部に影響力を及ぼそうとした構造的問題だったということだ。
そして彼自身は、かつて同じ釜の飯を食った仲間と対立せざるを得なかった苦しみを、こう語った。
「本来は戦友であるはずの仲間と骨肉の争いをすることになった。この苦しみは当事者にしかわからない」


