“寄り添い”よりも喜びを口にする新しさ
大変さに同情して相手をいたわるよりも、自分の中にあるポジティブな喜びの部分を引き出してくれたことに幸せを感じているようだった。
「寄り添い」や「いたわり」を何よりも第一に考える美智子上皇后であれば、この女性の予想通り、「大変ですね」と声をかけたのではないかと私は思う。もちろんそれも大事なことではあるのだろうが、ここで愛子内親王が選んだ言葉は、大げさに言えばこれまでの皇室の在り方に新風を吹き込むふるまいだったようにも感じられる。
なぜなら、個人の感想を語ることは「個」としての行動であり、体験に根差した自分自身の確たる気持ちがなければ為すことができない。国家に成り代わっていたら永遠に口にすることができない。反対に「寄り添い」や「いたわり」は、言葉だけであれば、主体がなくても何とでも言うことができる。
愛子内親王が「いたわり」より先に「喜び」を持ってきたところにも、新味がある。「いたわる」ことは、言ってみれば「上位にある者」からの保護者的な目線であるが、「喜びに共感する」ことは、目線の高さが相手と一致している。
こう考えてみると、やはり美智子皇后や明仁天皇の言葉は、国家という「保護者」が「上位者」として国民をいたわり、励ますことを基本としていたように感じられる。
大人びた中学生時代の作文
話は変わるが、私は、愛子内親王が学習院女子中等科時代に書いた作文の中にも、同じような「国民と同じ目線」を感じたことがある。広島を訪れ、平和について考えた時のことを、愛子内親王はこう書いたのだ。
「日常の生活の一つひとつ、他の人からの親切一つひとつに感謝し、他の人を思いやるところから『平和』は始まるのではないだろうか」
天皇や皇后ではないのだから当たり前なのかもしれないが、ここには、皇族として背伸びをしたり、国民の外にある代表者として平和について大きく語ったりしようという気持ちがまったく感じられない。天皇に連なる者でありながら、あるのはあくまで生活者としての謙虚な目線だけだ。「大きく語らない」というのは、父と共通する性質であるようにも感じる。
国民の「上位者」として国民と向き合い、寄り添い、相手を見据えるよりも、むしろ国民と同じ高さで、同じ方向で、同じものを見ようとする。国民の外ではなく国民の中にあろうとする。愛子内親王に感じられたそのような姿勢を、徳仁天皇夫妻が国家との関係性の中で、より鮮明に発揮したことがある。

