入国した瞬間にスマホは沈黙
そもそも、ウクライナと交戦中のロシアに観光に向かおうという試みが無謀なのだろう。
ロシアに入った中国人観光客がまず戸惑うのは、戦争の余波でまったく使い物にならなくなるスマートフォンだ。ウクライナによるドローンの遠隔操縦を難しくするため、ロシア政府は入境直後のSIMカードを一時無効化している。原則として24時間経たなければ、データ通信が機能しない。
外国人が正規のSIMカードを入手する手段は残されているものの、モスクワ・タイムズによると、1枚手に入れるだけでも、政府ポータルへの登録、個人保険番号の取得、銀行での生体認証、そして店頭での対面契約と、4段階の手続きが要る。
大半の観光客は、この壁を越えられない。同紙によれば、2025年に入って外国人の登録ユーザーはそれまでの5分の1以下、300万人未満にまで激減した。新規SIMカードに占める旅行者の割合も、2024年には20%あったものが1%未満に落ち込んでいる。手続きを始めても、3人に1人は途中で投げ出すという。
現地が潤わない「WeChat」の闇
こうした不便さに、中国系の事業者がつけ込んでいる。
実はSIMがなくても、ホテルや店舗のWi-Fiさえつながれば使える決済手段が一つだけある。中国テンセントが展開するチャットアプリWeChat(微信)の、「WeChat Pay」決済機能だ。
土産物店での代金はWeChat Payの個人間送金として処理される。実態は商取引だが、ロシアの金融監視を素通りする。カーネギー国際平和基金は2018年、「人民元のロシア旅行(原文:The Yuan's Russian Vacation)」と題した分析で、この構造を暴いた。
ここにハワラと呼ばれる地下送金の存在が組み合わさる。ハワラとは、銀行を通さず、仲介者同士の信用だけで国境を越えて資金を動かす非公式の仕組みだ。利益はほぼ全額、人民元のまま中国側へ流れていく。
シックス・トーンによれば、2014年から2019年に中国人観光客がロシア国内で費やした額は推計約140億ドル(約2兆1000億円)。だがロシア政府の懐には、ほぼ何も入らなかったという。
それでもロシアとしては、黙認するほかない。格安ツアーが成り立つのは、課税を免れた非公式の資金循環があればこそだ。締めつければ、観光客を呼び寄せてきたスキームが崩れかねないためだ。

