「書けません」という回答だったが…
安藤は、山田に切り出した。
「ヤクザ喜劇を書いて、映画にしてくれないか?」
安藤オリジナルのプロットは、「ヤクザが市民社会のなかに入って行って、騒動と笑いを引き起こす」というものであった。
ただし、安藤の案では、ヤクザが笑える騒動を引き起こす、というもので、『男はつらいよ』風に、再び地元に舞い戻って、またひと騒動を起こすというところまでのものではなかった。山田は、安藤と清水の提案を持ち帰った。
しばらくして、山田洋次から断りを入れてきた。
「書けません」
ところが、昭和43年10月から、フジテレビでテレビドラマ『男はつらいよ』が山田洋次の原案・脚本として始まったのである。主役のテキ屋・車寅次郎役は、もちろん渥美清である。テレビドラマ『男はつらいよ』は、全26回にわたって放送された。
“盗用疑惑”より映画の成長を選んだ
安藤によると、山田洋次によるアイデア盗用であった。山田が、あらかじめ安藤に仁義を切っていたかというと、まったくそれはなかった。
安藤は、腹が立った。が、そのテレビドラマが放映されたあと映画化された『男はつらいよ』もまた、爆発的に当たったことを見て、黙認することにした。
〈気の小さい松竹のことだから、こんなことでケチが付いたら映画がシリーズ化されないかもしれない。それより映画として成長していったほうがいいだろう〉
安藤は、“映画の成長”という大局観から『男はつらいよ』を温かく見守ったのである。が、安藤は、山田個人に対しては腸が煮えくり返っていた。
〈だけど山田洋次に会ったら、締め上げなければいけないところだな……〉
こうした安藤昇のオリジナルアイデアが具現化するのは、何も『男はつらいよ』ばかりではなかった。
昭和30年代後半から任侠映画が爆発的なブームになった東映では、女優の藤純子(現・富司純子)が「任侠映画の華」として、またスター女優としての道を歩み続ける。その人気を決定的にしたのは、シリーズ化されて一時期、東映の屋台骨を背負うまでになった山下耕作監督の昭和43年公開の『緋牡丹博徒』であった。
父の仇を求めてさすらう女ヤクザ・矢野竜子、人呼んで“緋牡丹お竜”の啖呵や殺陣は人気を呼び、高倉健と鶴田浩二と並ぶ任侠スターとなった。
だが、この『緋牡丹博徒』にも安藤昇が絡んでいた。

