親子、夫婦間でも無視されていいものではない
子どもが親に向かって「もう黙っててよ」「何にもわかってないくせに」と強い口調でいったとき、そこには「年を取ったあなたの意見には価値がない」という無意識の上下関係が存在します。
ある母親はそんな言葉に傷つきながらも、「しかたがないわよね」とつぶやきました。
でも、本当にそれでいいのでしょうか。
たとえ年をとっても、「私は私」という声は、無視されていいものではありません。
夫婦間にも同じことが起こります。
長年連れ添った妻が「これからの人生、自分の時間を大切にしたい」といったとき、夫が「そんなの無理だろ」「家のことはどうするんだ」と一蹴することもあります。そこには、妻の生き方や選択を尊重しない姿勢が表れています。
「一緒に生きてきたはずなのに、私は“私”として見られていなかったのかもしれない」。そう気づいたときの寂しさは、計り知れません。
友人関係でも、「あなたには無理じゃない?」と決めつけられたり、「その歳で何を今さら」と笑われたりすると、自分の中の意欲が少しずつ削られていきます。
そんなときこそ、自分自身の中に「私はこうしたい」「これが私らしさなんだ」という芯を持ち続けることが大切です。
職場や医療現場でも見落とされる尊厳
職場でも、「尊厳」はしばしば見落とされます。
たとえば定年が近づいたベテラン社員が、新しい提案をしても「それは若い人に任せて」とスルーされたり、会議で発言しても「はいはい」と流されたり。
過去の人、もう終わった人として扱われたとき、人は自分の存在意義を丸ごと否定されたような気持ちになります。
SNSの世界でも同じです。
年齢や肩書きだけで人を評価したり、ちょっとした意見に過剰な反応が返ってきたりする時代です。発信すること自体が怖くなり、「黙っていたほうがいいのかな」と、心を閉ざしてしまう人も少なくありません。
でも、自分の考えや感じたことを言葉にする自由まで、他人の手に委ねる必要はないはずです。
病院や医療の現場でも、尊厳が見過ごされる瞬間があります。たとえば、高齢の患者に対して、医師や看護師が本人ではなく家族にばかり話しかけて、「ご本人に説明してもしかたないですよね」といった態度を取ったりする場面があります。
病気になったからといって、人格まで失ったわけではありません。だれだって「自分のことは自分で決めたい」という思いを抱いているのです。
こうした小さな「無視」の積み重ねが、人の尊厳を少しずつ削っていきます。

