「日本人」になって得たもの
ハーンの内面を察すれば、上述の宗教面での内的葛藤に加えて、イギリスとオリエント、イギリスとアイルランド、さらにイギリスと大陸ヨーロッパという異なったアイデンティティに引き裂かれていた。
またイギリスにおける大陸からの移住系と先住系、そして大陸系のなかのノルマン、フランドル、ユダヤ系等々、さまざまな血縁の交わりや土地柄に引き裂かれた自己アイデンティティの拠り所を模索し続けた生涯だったのだろう。
アイルランドの有名な文人、例えばハーンが晩年に手紙を書き、アイルランドへの郷愁を吐露したアングロ・アイリッシュ家系のウィリアム・イェイツや、カトリックのアイルランド人ジェイムス・ジョイスは、同様に大陸由来の家系であり、彼らのアイデンティティをめぐる葛藤状態はハーンのそれとよく似ている。「小泉八雲」に生まれ変わった日本では遂にその重荷や苦悶から解放され安住の境地を見いだしたのではないか。
ラフカディオ・ハーンとはなんだったのか
端的に言うと、ハーンの動向を正しく認識するためにはイギリスの大陸系住民に対する理解が最重要ではないか。彼らは同じプロテスタント陣営とはいえ、やや国粋的・土着的な国教会(アングリカン)を潔しとせず、大陸系を中心にピューリタン(清教徒)として北米に移住した。
またオランダからニューアムステルダム(現ニューヨーク)への北米移民もその多くが、宗教革命で故郷を失い移住先を求めていたフランドル系である。結局、米国建国に関わった初期のイギリス・オランダの北米移民の多くは、出てきた国や言葉は違ってもルーツはほぼ同じで(フランス・フランドルの大陸系)、少なからぬ改宗ユダヤ系を含む新教徒集団なのである。
中世末期から近世初期の時代以降、世界を揺るがす国際的な人の大移動の渦の真ん中にフランドルは位置していた。そのことは徳川の鎖国時代にもかかわらず出島に常駐する多くのフランドル系オランダ人と長い付き合いがあり、蘭学を教わってきた日本にとっても他人事ではない。
ハーンは、長い鎖国を終えて今まさに西欧に開かれようとする日本に、宿命的に東西の架け橋となるべく大いなる意図を持って駆けつけて来た「ディアスポラ」(離散者)なのである。


