11世紀から続く名門家系

ハーン家の恵まれた社会的地位と家柄をもう少し跡付けてみよう。本名はパトリック・ラフカディオ・ハーンであり(綴りはHearn。他にもさまざまな綴りがある)、それがアイルランド的かつカトリック的だからか、20歳代半ばから名のパトリックを捨てて単にラフカディオ・ハーンと名乗り始めた。

アイルランド固有のハーン姓とは異なり、彼のハーン姓は大陸由来のノルマン系だ。長らく鳥のサギ(英語のヘロン)と結び付けられ、ハーン家の紋章にも用いられている。

ハーン家の紋章
ハーン家の紋章(写真=Hearn(e) Research/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

ハーン家の先祖はノルマンディーのルーアン近郊に居城を有し、ウィリアム征服王のノルマン征服に参加した結果、スコットランド国境方面に領地を得た。その事実は世界初の土地台帳ドゥームズデー・ブック(※)にも記されている。イギリスでは、フランス系など大陸のルーツは名門とされる。

ただしそのハーン姓やヘロン姓あるいはヘルン姓は、いずれもフランスの姓というより、むしろフランドル的かつユダヤ的な姓だ。実際、ベルギー南部のフランス語地域には同名の町が2つある。

フランドルにユダヤ人(系)が多いのは、1492年にレコンキスタ(キリスト教徒による国土回復)でスペインからイスラム勢力が追放された際、それに続き改宗しないユダヤ人もスペインを追われたことに起因する。

彼らの多くはまずは隣国ポルトガルに、そして次にはアントウェルペン(アントワープ)に逃れて、そこから本国ポルトガルやスペインの大航海時代を経済面で支えた。その彼らが、後には宗教改革・オランダ独立戦争でさらに北上し、今度はオランダの大航海時代を演出したという経緯がある。

いずれにしても、ハーンの家系は大陸由来の貴族の系譜である。

※:1086年にウィリアム1世が作成したイングランドの土地台帳。ノルマン征服の褒賞として大陸側の従軍領主にイングランド中の領土が分け与えられた際、課税や領地管理のため資源や家畜数が詳細に記録された。その決定が絶対的で変更不能なことから「最後の審判(ドゥームズデー)」になぞらえて呼ばれた。

「祝福されない結婚」をした相手とは

渡米したハーンに話を戻そう。

1869年、モリヌー氏に投資していた大叔母ブレナンの破産もあり、庇護者を失った19歳のハーンはアメリカのオハイオ州シンシナティに住むモリヌー家の親戚を頼りに、追いやられるように渡米した。

アメリカに渡り、シンシナティで無一文だったハーンの当初の困窮を救ったのは、空想的社会主義者の印刷業者で、父親代わりだったヘンリー・ワトキンである。またシンシナティで順に契約した2つの新聞社の担当編集者コックリルとヘンダーソン、さらにはハーンの出版を手掛け、日本渡航の契機ともなった大手出版ハーパー社の編集者パットン等、ハーンを支えた主だった人々は、その姓から皆がフランドル系アメリカ人と考えられる。

さて、ハーンの女性に対する姿勢は父親以上に屈折して複雑である。米国移住後のハーンはシンシナティで、欧州系とアフリカ系との混血で、読み書きはできなかったムラートのアリシア(マティ)・フォリーと法的には認められない結婚をして、それがゆえに後に離婚している。

フォリー姓はノルマン征服由来で、上記ドゥームズデー・ブックにも載っている北フランスやフランドルに多いユダヤ的な姓である。注目すべきはその姓がイギリスのフランス系の王族(プランタジネット朝)にも繋がる名門の姓であることだ。フォリーは母親がアフリカ系で、父親はフランス語圏のヨーロッパ系北米移民だった可能性がある。