7歳で両親に捨てられる
2歳のころ、ハーンは母とともに父親の実家があるダブリンに戻り、翌年には父も帰国した。しかし4歳の時、父がクリミアに転属してから一家に異変が生じる。
父が転属してから間もなく、言葉や宗教の壁、寒冷な気候、さらには夫のやや放縦な女性関係も影響して、異国での生活に馴染めず精神を病んでいた母がギリシャに帰国してしまったのだ。
父はその時期に幼なじみの女性と再会していたといい、他方、母は帰国後すぐに別の男性と再婚して子供にも恵まれている。ハーンの父母の双方に言えることだが、異性に関してはずいぶん行動が積極的で迅速である。
その後両親の離婚が成立し、父は先ほどの幼なじみアリシア・ゴスリン(旧姓)という女性と結婚してインドへ旅立った。ゴスリン姓はフランス・フランドル系の貴族家系を意味する。
以上のことは、父チャールズがエキゾチックであったり名門家系出身であったりする女性を好む一方で、「海外」での自由な恋愛と「祖国」での地縁にもとづいた昔ながらの恋愛を志向するという、いずれも女性に対するやや分裂的な姿勢を示していよう。
このときハーンはわずか7歳。両親の奔放な恋愛の巻き添えを食ったハーンは、早くも天涯孤独の身となってしまったのである。
ハーンがカトリック嫌いになったワケ
両親から十分な庇護が受けられなかったハーンは、父方の祖母が英語を話さなかったこともあり、その妹である大叔母サラ・ブレナンに引き取られた。ブレナンはもともとユグノー(フランス系カルヴァン派プロテスタント)だった裕福な未亡人である。ハーンは彼女の改宗後のカトリックの環境下で、ノルマンの血を引く乳母(コステロ姓)に育てられた。
ハーンは少年時代にダブリンやイギリスだけでなく、フランスでもカトリックの教育を受けた。後に仏文学を翻訳するほどに優れたフランス語能力を身につけたのはこの時期だ。
フランスでカトリック教育を受けることができたのは大叔母の前夫の親戚であるヘンリー・モリヌーの斡旋によるもので、一族のフランスとの強いつながりを示す。ただし一連の厳格なカトリック宗教教育を経て、ハーンはカトリック嫌いになった。
もともとカトリックとプロテスタントとの対立に疑問を抱いていたところに、愛する母の祖国のギリシャ正教を含む東方文化への親近感があったことも影響して、彼の精神は宗教面でも引き裂かれていったのだ。

