AO入試が変えた大学経営と体育学部の乱立
AO入試実施の背景には、1985年の臨時教育審議会第一次答申以降、91年の中央教育審議会答申、93年の大学審議会報告などがある。そこでは個性重視の選抜を実現するために、詳細な書類審査と面接試験を組み合わせた評価尺度の多元化に基づいた制度化を挙げていた。
そのため、社会人入試や帰国子女入試などさまざまな入試形態を包含しながら発展していく。スポーツ推薦入試も例外ではない。従来の推薦入試に加えてAO入試の枠組み内でも「スポーツAO入試」などの名称で多用されていく。1990年代初頭に導入されたAO入試は、学力試験のみではない入試方式の拡大であり、結果的にはスポーツ推薦入試拡大の追い風となっていった。
この時期、文部省は18歳人口の減少を背景に大学定員の抑制を図っていたが、医療分野や福祉分野、情報分野など、時代の要請に合った実学的な学部・学科の新設は特例的に認めていた。こうした流れのなか、2000年代以降に「体育・スポーツ科学系学部」の開設が増えていく。
早稲田大学(2003年開設)、同志社大学(2008年開設)、法政大学(2009年開設)、立命館大学(2010年開設)といった学生数3万名を超える大規模な総合大学をはじめ、日本で初めて大学名にスポーツを冠したびわこ成蹊スポーツ大学(2003年開設)などが新たに体育・スポーツ科学系学部の開設に乗り出した。
大学スポーツバブルと推薦入試の歪んだ真実
文部科学省の各年度「開設予定の大学等の設置に係る答申」に基づいて整理すると、2000年から23年までに31校が学部名に「スポーツ」を含む学部を開設し、開設初年度学部入学定員の総計は5200名に達している(図表1)。
早稲田大学や東洋大学、立教大学のようにスポーツ科学に関連する学科を学部へと改組し開設した大学もあるが、そうした事例は少なく学部の新設による大幅な増加だった。
そのほかのスポーツ科学関連の学科の新設を含めれば、さらに大きな規模となる。この背景には、従来は保健体育科教員を養成する機関だった体育・スポーツ科学系学部が、ヘルスプロモーションや生涯教育、ビジネスなど幅広いキーワードのもとで社会的ニーズを高めたことが挙げられる。
そして、これらの体育・スポーツ科学系学部を開設した大学のほとんどがスポーツ推薦入試を導入していた。結果的にアスリートの新たな受け皿を創っていたと言えよう。こうした体育・スポーツ科学系学部開設の動きもまた、スポーツ推薦入試のさらなる拡大を後押ししていた。
一方で、スポーツ推薦入試が拡大するなかで、入試での数々の非倫理的な問題が増えていく。実はそれは1989年度の文部省によるスポーツ推薦入試の公認直後からだった。

