八雲が喜んだ「華族の老婦人」の話

そしてヘルン夫妻の生活が、正にそうした通りの理想であった。彼等の愛人同士は、周囲に多くの人々が住んでる環境に居て、しかも無人島に居る二人だけの会話を会話し、二人だけの生活を自由に享楽していたのであった。

晩餐ばんさんの時、ヘルンはいつも二三本の日本酒をさかずきで傾けながら、甚だ上機嫌に朗かだった。夫人や家族の者たちは、彼の左右にはべってしゃくをしながら、その日の日本新聞を読んできかせた。(ヘルン自身には、英字新聞しか読めなかったから。)

ある日の新聞に、次のような記事が出ていた。山の手の某所に住んでるある華族の老婦人が、非常に極端な西洋嫌いで、何でも舶来のものやハイカラなものは、一切『西洋くさい』と言って使用しない。そのためその家では、シャボンやランプはもちろんのこと女中たちの髪飾かみかざりや持物に至るまで、すべて禁令がやかましく、万事皆昔の大名御殿だいみょうごてんにそっくりなので、どの女中も居つかずに逃げ出してしまい、人に頼んで募集しても、『あのお邸なら真ッぴら、真ッぴら』と言って寄りつかない、というような記事が明治時代の新聞に特有な洒落本口調しゃれぼんくちょうで書いてあった。