八雲が喜んだ「華族の老婦人」の話

そしてヘルン夫妻の生活が、正にそうした通りの理想であった。彼等の愛人同士は、周囲に多くの人々が住んでる環境に居て、しかも無人島に居る二人だけの会話を会話し、二人だけの生活を自由に享楽していたのであった。

晩餐ばんさんの時、ヘルンはいつも二三本の日本酒をさかずきで傾けながら、甚だ上機嫌に朗かだった。夫人や家族の者たちは、彼の左右にはべってしゃくをしながら、その日の日本新聞を読んできかせた。(ヘルン自身には、英字新聞しか読めなかったから。)

ある日の新聞に、次のような記事が出ていた。山の手の某所に住んでるある華族の老婦人が、非常に極端な西洋嫌いで、何でも舶来のものやハイカラなものは、一切『西洋くさい』と言って使用しない。そのためその家では、シャボンやランプはもちろんのこと女中たちの髪飾かみかざりや持物に至るまで、すべて禁令がやかましく、万事皆昔の大名御殿だいみょうごてんにそっくりなので、どの女中も居つかずに逃げ出してしまい、人に頼んで募集しても、『あのお邸なら真ッぴら、真ッぴら』と言って寄りつかない、というような記事が明治時代の新聞に特有な洒落本口調しゃれぼんくちょうで書いてあった。

講師会(教職員。上野精養軒門前。127名)、早稲田大学写真データベース(原版)資料番号B046-06=推定撮影日:1904(明治37)年9月11日。下段中央の左に顔を向けている小泉八雲。『早稲田学報』107号に使われたこの写真には、「講師 小泉 雲」と記載
写真提供=早稲田大学歴史館/共同通信イメージズ
講師会(教職員。上野精養軒門前。127名)、早稲田大学写真データベース(原版)資料番号B046-06=推定撮影日:1904(明治37)年9月11日。下段中央の左に顔を向けている小泉八雲。『早稲田学報』107号に使われたこの写真には、「講師 小泉 雲」と記載

節子夫人にからかわれて…

夫人がそれを読んできかすと、ヘルンはすっかり上機嫌になってしまい、『いかに面白い。いかに面白い』と、子供のように手をってよろこびながら、『私、その人大好きです。そのような人、私の一番の友達。私見る好きです。その家、私是非見る好きです。私、少しも西洋臭くない』と言って大満足なので、『あなた西洋臭くないでしょう。しかし、あなた鼻高い。眼青い。駄目だめです』などと夫人にからかわれ、『あ、どうしよう、私この鼻』など言って悄気返しょげかえり、『真ッぴら、真ッぴら』と、今おぼえたばかりの日本語を面白がって使ったりして、夫人や女中たちを大笑いさせたりしているのだが、その後で、『しかし、よく思うて下さい。私この小泉八雲、日本人よりも本当の日本を愛するのです』と言ったヘルンは、真に日本を熱愛した詩人であった。

晩年多少日本に幻滅を感じた時でさえも、他の外人が日本を悪意的に批評する時、いつも憤然としておおいに怒り、さながら自分の愛人を侮辱された時の騎士のごとく、鋭い反撃のやりをふるって突き当って行った。そうした八雲の心理は、我が子の魯鈍ろどんに幻滅を感じてる親が、他人から、その愛児の悪評を聞いて怒る心理と、よく似たものであったと思われる。