すべてのものを丸、三角、四角に

少し難しく聞こえるだろうか。簡単に言い換えよう。

セザンヌは、目に見えるものをそのまま描くことをやめた。代わりに、すべてのものを単純な形=丸、三角、四角に置き換えて描こうとしたのだ。

山は三角形に。
木々は円柱に。
建物は立方体に。

複雑に見える自然を、シンプルな幾何学の形に分解して、キャンバスの上で再構築したのだ。

ポール・セザンヌ『カーテンのある静物』
ポール・セザンヌ『カーテンのある静物』1895年(画像=エルミタージュ美術館/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

なぜそんなことをしたのか。

セザンヌ以前、絵画の目標は「見たままを描くこと」だった。

いかに本物に近づけるか。いかに目の前の風景を正確に写し取るか。写真のようにリアルに描けることが、優れた画家の証だった。

セザンヌは、それに疑問を投げかけた。

見たままを描くだけなら、写真でいいではないか。

画家の目と頭を通して、自然を解釈し、再構成する。それこそが絵画にしかできないことではないか。

だからセザンヌは、山をカクカクに描いた。
木をカクカクに描いた。
空さえもカクカクに描いた。

モーリス・ドニ『セザンヌへのオマージュ』
モーリス・ドニ『セザンヌへのオマージュ』1900年(画像=WikiART/CC BY-SA 4.0/Wikimedia Commons

セザンヌがピカソを目覚めさせた

現実とは違う。しかし、それでいい。画家のフィルターを通して世界を描き直すこと。それがセザンヌの革命だった。

ムンクは何を叫んでいるのか?
井上響『ムンクは何を叫んでいるのか?』(サンマーク出版)

現代の私たちからすれば、「現実と違うように描く」ことは当たり前に感じるかもしれない。抽象画も、デフォルメされたイラストも、日常的に目にしている。

しかし当時、それは異端だった。誰もやっていなかった。

だから「落書き」と笑われ、誰にも理解されなかった。

セザンヌは、その孤独な道を歩き続けた。

彼の死後、1人の若い画家がセザンヌの絵に衝撃を受けることになった。

パブロ・ピカソ。

ピカソはセザンヌの「すべてを幾何学に還元する」という考え方を受け継ぎ、さらに推し進めた。その結果生まれたのが、キュビズムである。

1つの対象を複数の角度から同時に描く、あの革命的な手法だ。

ピカソは言った。

「セザンヌは私たち全員の父だ」と。

落書きと罵られた画家が、20世紀美術の父となった。

この絵は、その歴史的転換点を物語っている。カクカクした山は、下手なのではない。美術史が変わる瞬間を、私たちに見せているのだ。

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