ひっそりと隠れていた遺構
急坂を降ってすぐに隠れている井戸。上部は剥き出しではなく、石材と石積みで固めてある。雨水やゴミを避けるにはよいが、汲みにくそうだ。
これでようやく、広大な観音寺城をほぼコンプリート。満足感とともに、観音正寺へ。登りはじめはお昼前だったが、観音正寺まで戻ってきた時にはすでに夕暮れ時だった。
知られざる六角家の「その後」
史実では信長軍を前に敵前逃亡した六角義賢。だが、この観音寺城に籠城し、ガチで信長と戦っていたらどうなっていただろうか。
尾根を活用した長大な大土塁。あらゆる曲輪に築かれた石垣や土塁と、それに接続する急斜面。なかなかの要塞ぶり。やはり「なぜ敵前逃亡したのか?」と疑問を持たざるを得ない。当時の信長の勢力程度なら、大軍で長期にわたって城を囲む兵糧攻めは難しかっただろう。粘り勝ちできたはずだ。
もしかすると、六角家の内情が主因だったのかもしれない。先に挙げた通り、六角家と家臣の関係は、主従関係がそれほど強固なものではなかった。「全山すなわち城なり」の広大な城を守るには、その忠誠心の低さが心許ない。城内に裏切り者が現れるかもしれないし、そもそも巨城を守るための充分な兵数は集まるのか──。
1568(永禄11)年、迷った末に観音寺城を捨てた六角義賢。そのまま滅亡したのかと思いきや、甲賀に隠れながら信長への抵抗は1574(天正2)年まで実に6年も続く。比叡山延暦寺など、反織田勢力とも連携しつつ、主にゲリラ戦で信長を苦しめた。「三十六計逃げるに如かず」とは、六角義賢のためにあるような言葉だ。
写真=今泉慎一
(今泉 慎一)

